山原の神行事(海神祭・シニグ

                       於:名護市博物 (20191221)    2022年1月へ                    仲原 弘哲(やんばる学研究会)

 

はじめに
1、北山の領域(北山文化圏)の痕跡
2、シニグの分布と名称
3、祭祀(シニグ)の名称
4、祭祀の「流し」―流し―が意味するもの
5、祭祀に見られる凌ぐ(シニグ)流しと弓(ヌミ)を持った所作(猪狩)
6、祭祀での猪狩は豊漁・豊作・豊猪と同様
おわりに

はじめに

「北山文化圏」という大きな歴史的な大きなテーマを掲げている。その主張の手がかりとなったのは、沖縄の歴史の三山の時代「北山」が手掛かりとなりました。当初、山原とは?という命題に突き当りました。山原の領域の議論がありました。それが言語の北部と中部との境界線。勅物からみた山原となると読谷山がから北側となる。その境界線は、様々だということに気付かされました。様々な調査をしてきましたが、今日の山原の祭祀とイノシシに関わる部分について報告したいと思います。『琉球国由来記』(1713年)に編纂された記録があります。その中に「神アシアゲ」があります。すると、神あしあげのある地域は、どうも「やんばる」の領域にあり、それは三山の北山の領域と重なることがわかりました。北山の時代と言えば、与論・沖之良久部・徳之島、奄美大島は途中まで、喜界島もその範疇に入れてもいいのではないかと。神アシアゲは奄美大島の南側加慶呂麻島まで確実に入ります。

今日のテーマと関わる祭祀のシニグ。海神祭の分布です。本部半島から今帰仁・大宜味・国頭、やんばるに神アサギとシニグの分布です。平安座島や宮城島、そして伊計島にシニグドウがあります。シニグドーはシニグ行事の一場面です。津堅島にもあるようです。しにぐは与論島、沖之永良部島にもあります。

今回、山原文化圏の要素にイノシシを組み入れたいと思います。各地の遺跡からイノシシの骨が出土しています。中南部からも。すると山原のみでなく、沖縄本島や周辺の島々にいたことになります。それが人々の住む環境の変化でイノシシは沖縄本島北部に追いやられたのでないか。イノシシの捕獲する場面は、豊漁・豊作の場面と見ることができます。

シニグや海神祭などの祭祀にイノシシが登場する。害獣と目されるが、海神祭やウプユミなどの祭祀にイノシシが登場するのは狩猟時代を辛うじて今に伝えていることを示しているのではないか。

 

1、北山の領域(やんばる文化圏)の痕跡


▲北山の領域         ▲山原の主なグスク         ▲「おもろ」に謡われた地名

   (図略)

2、シニグの分布

シニグは本部半島から北部から東海岸に見られ、東海岸は与那城(現うるま市)あたりまで分布している。北の方は世論島や沖永良部島、神アサギは奄美大島の南側の加計呂麻島あたりまで見られる。神アサギの分布とシニグがかぶさった地域に見られる。さらに古くは北山の領域と重なる。

 与論のシニグはサークラごとに行っており、沖縄本島の間切は成り立っているが、まだ村(ムラ)が緩やかなころ(マク・マキヨ)の形が与論島や沖永良部島には残っているのではないか。沖縄側のシニグは村落ごとに行われ、1609年の薩摩侵攻以降、近世の村の形で行っていると見られる。与論のシニグは古琉球のシニグの形をそのまま継承しているとみてよさそうである。シニグの名称はいくつもあり、ここでは「流し」の所作を中心に紹介する。今帰仁あたりでは複数の祭祀が一つにまとめられたように見られる。国頭ではシニグとウンガミが交互に行われているのはその例か。ウプユミとワラビミチが同日に行われた事例(湧川)。 

シニグは本部半島から北部から東海岸に見られ、東海岸は与那城(現うるま市)あたりまで分布している。北の方は世論島や沖永良部島、神アサギは奄美大島の南側の加計呂麻島あたりまで見られる。神アサギの分布とシニグがかぶさった地域に見られる。さらに古くは北山の領域と重なる。

 与論のシニグはサークラごとに行っており、沖縄本島の間切は成り立っているが、まだ村(ムラ)が緩やかなころ(マク・マキヨ)の形が与論島や沖永良部島には残っているのではないか。沖縄側のシニグは村落ごとに行われ、1609年の薩摩侵攻以降、近世の村の形で行っていると見られる。与論のシニグは古琉球のシニグの形をそのまま継承しているとみてよさそうである。シニグの名称はいくつもあり、ここでは「流し」の所作を中心に紹介する。今帰仁あたりでは複数の祭祀が一つにまとめられたように見られる。国頭ではシニグとウンガミが交互に行われているのはその例か。ウプユミとワラビミチが同一に行われた事例(湧川)。


与論のシニュグ祭】(宮城栄昌著)

 ウンジャン(海神)祭と隔年で行われる。その意味について、沖縄及び大島各地で種々説明されているが、先祖神に収穫を感謝する祭で、来る年の豊凶を占うとともに豊作を祈願するものであったことは疑いがない。与論島の本祭は、明治初年の廃仏毀釈時に祝女や□巫が圧迫を受け、ウガン所の廃止、祭儀用衣類、珠玉などの破棄があって、明治5年から廃止されたが、明治32年に復活して、現在に至る。

旧暦7月16日のパルシニュグ
   17日の本祭
   18日は休み
   19日村民全体の直会で終わる。
 祭祀集団であるダークラ(サアクラ中心に行われる)。
 パルシニグと迎えシニュグがある。

【シニュグの流れ】(『与論町誌』1084~5頁)
 シニグはシニュグとも呼ばれ、稲作と中心とした五穀豊穣、氏族の果報を祈願するという。
①隔年ごとに行われる。
②シニュグのある年は16日からサアクラという仮小屋をつくる。
③16日に神道をあける。
④16日に男は一人当たり米二合、女性(男のいない家)は一戸あたり二合づつ座元に出し合う。
⑤座元は神酒をつくる人を選定し17日には神酒の製造を終える。
⑥17日に旗を持つ人は旗の準備をする。
⑦17日に神酒を一本持参し座元で祈願し神酒を飲む。神酒を飲むと次のシニュグまで厄介払いとなる。
⑧17日は本祭。少年は家打ち、大人は礼拝の儀式があり、その後酒宴に移り、日が没する頃神送りをして解散。
⑨18日は休み
⑩19日の午前中はサアクラや道を直したりする。
⑪19日の午後から所属するサアクラに一重一瓶を携え集まり酒宴をする。歌・三線・踊りで盛大に行われる。
⑫シニュグの間、ケンカや口論は厳しく戒められる。
⑬死者のある家は17日の本祭には参加できない。19日の最後の日は必ず座元に出なければならない。

3.シニグの名称

 シニグの名称はシニグ、シニーグ、ウオウユミシニグイ、シマウイミ、ウプユミ、シニグイウンジャミ、ウフユミワラビミチ、ウガンなどがある。ウンジャミ・シニグと呼ぶ、国頭地方では二つの祭祀が隔年交互に行われる。『琉球国由来記』(1713年)の編纂の時、「神遊び」の削減がなされたのではないか。由来記にない祭祀が、実際に行われているのはそのためか。

 

【本部間切】

 ①具志堅のシニーグ ②備瀬のシニグ ③瀬底のウフユミ・シヌグイ ④石嘉波のシヌグイ・ウフユミ
 ⑤浦崎のウプユミ・シニグ ⑥謝花のウプユミ・シニグイ ⑦並里のシニグイ・ウプユミ
 ⑧伊野波シヌグ ⑨渡久地のシヌグ ⑩浜元ウシレーク ⑪嘉津宇 ⑫健堅シヌグイ・ウンジャミ
 ⑬辺名地シヌグイ ⑭崎本ウフユミ 

【具志堅のシニグ】
 島のウフヤクが柴山に登り、柴と野葡萄を取って蔓で背から頭までかぶり、神アサギへ。三組に分かれ鼓を打ちながら各家庭をまわりナガレミャーで出会う。かつては浜で流していたが、今はウフガーで流す。 

今帰仁間切】(シニグの名称はないが「流れ」の所作あり)

①グスクウイミ(海神祭・シマウイミ)(今帰仁ノロ管轄) ②兼次ウフユミ ③諸志ウプユミ
④与那嶺ヒチュマ ⑤仲尾次ウフユミ(大弓) ⑥崎山ウプユミ ⑦平敷ウプユミ ⑧謝名ウプユミ
⑨仲宗根ウプユミ ⑩玉城ウプユミ ⑪湧川ウフユミ・ワラビミチ ⑫天底ワラビミチ ⑬勢理客ウプユミ
⑭上運天ウフユミ ⑮運天ウフユミ ⑯古宇利ウンジャミ 

【羽地間切】(六月の祭祀なし)

①源河ヒチューマ ②稲嶺 ③真喜屋ルクグヮチウガン? ④仲尾次ヒチュマ ⑤川上ウンギャミ
⑥田井等ウンギャミ ⑦親川(田井等と一緒) ⑧仲尾ウンギャミ ⑨振慶名ワラビミキウガン
⑩伊佐川ウフウイミ ⑪我部祖河ウプマチウイミ、ワラビミチ ⑫古我知ヒチュマ・ワラビミチ
⑬呉我ヤーサグイ・ワラビミキー  ⑭鐃平名ミチヌウガン ⑮我部ヤーサグイウガン
⑯済井出八月ワラビミチ ⑰屋我ミキウガン 

【大宜味間切】(ウンガミに「流れ」所作あり)

①田嘉里ウンガミ ②謝名城ウンガミ ③喜如嘉ウンガミ ④鐃波ウンガミ(グスクヌブイ) 
⑤大兼久ウンガミ(グスクヌブイ) ⑥大宜味グスクヌブイ ⑦根路銘ウンガミ ⑧塩屋ウンガミ 
⑨屋古ウンガミ ⑩田港ウンガミ ⑪白浜ムラウルイ  ⑫津波?

【城ノロのウンジャミ】

  城→喜如嘉→弓と矢をもち赤い団扇を持ち太鼓を鳴らしながら海岸へ→猪を捧げ海に流す(ナガレという)

【国頭間切

①国頭浜ウンガミ ②半地ウンジャミ ③比地ウンジャミ ④奥間ウンジャミ ⑤桃原ウンジャミ
⑥辺土名ウンザミ ⑦宇良ウンジャミ ⑧伊地ウンジャミ ⑨与那ウンジャミ ⑩謝敷ワラビウユミ
⑪佐手ワラビウイミ ⑫辺野喜ウンガミウイミ ⑬宇嘉ウンジャミ ⑭宜名真ナシ ⑮辺戸ウンジャミ
⑯奥シヌグ・ウンダミ ⑰楚洲ウフシヌグ・ウンジャミ ⑱安田シヌグ・ウンジャミ ⑲安波ウンジャミ・シヌグ 

 【辺土名】

  神人前具で村内各戸を巡って祈願をする。神人は戸口に置かれたお神酒・御馳走・花米をもって、
  家の幸福を祈り、弓で戸を打ちつつヤークエー・アミーサジー(厄を追い払うぞ)と唱える。家
  を出て各家を巡る。
  神人達は浜に出て冠を海に流す。
  辺土名の神人は津口浜(チグチ)へ。鼠を浜にながす。
  辺土名にカキヌウグヮンがあり西平ハチン門、山地名ハチン門奴向かって遥拝する(『辺土名誌』)
  辺土名にナガリ浜あり。

 

【安田のシニグ】
  三ヶ所の山あからスタート。太鼓の合図でスタート。麓で合流する。木の枝で集落内を祓いながら
  海岸へ。
  浜で木の枝やミーハンチャー等を海に流す。(それが流し) 

【久志間切】(六月の祭祀なし)

①久志ウタカビ・ウマチー・ユーニゲー ②辺野古タキヌウガミ ③二見 ④大浦カーミヌウガン

⑤瀬嵩六月ウイミ・ウイミ ⑥汀間カシキー ⑦安部 ⑧嘉陽六月ウマチー ⑨底に屋 天仁屋

【名護間切】(六月の祭祀なし)

①屋部六月ウマチー ②宇茂佐  ③中山 ④旭川 ⑤勝山  ⑥山入端五月ワラビミチ ⑦安和  

【恩納間切】

①名嘉真ウマチー ②安富祖六月ウマチー ③瀬良垣 ④太田  ⑤恩納六月十五日、二五日
⑥南恩納 ⑦谷茶六月ミキウガン ⑧冨着 ⑨前兼久ミキウガン ⑩仲泊 ウタキヌ掃除
⑪山田六月ウマチー ⑫真栄田六月ウマチー(二回) ⑬塩屋六月ウマチー(二回)⑭宇加地 

金武間切】(六月の祭祀なし)

①松田六月綱引き、七月ササイレ ②宜野座六月綱引き  ③惣慶六月綱引き ④漢那 ⑤福山
⑥城原  ⑦金武六月カシチー綱 ⑧並里 ⑨伊芸六月ウマチー、綱引き(カシチー)
⑩屋嘉六月ウマチー、カシチー 

【与論・沖之良部のシニグ】(略)

【与論・沖之良部のシニグ】(略)

4、祭祀の「流し」―流し―が意味するもの

 
   ▲古宇利島の海神祭の神送りの後に「流し」がある

  
  
▲今帰仁村今泊(グスクでの海神祭・ウイミ)シバンティナ浜

 
        ▲国頭村安田のシニグの「流し」

【大宜味村の城ノロの海神祭】

 大宜味村謝名城での海神祭(大正時代)の様子を紹介(『山原の土俗』:島袋源七より)。明日まで「山原の神行事とイノシシ」のデジメを準備しないと。下の城ノロ管轄の海神祭の「流し」を追加。

・四回目
  縄遊びを行う。その場所で行うが、まず左方に一間程離して棒を立て両方の棒に
  縄の両端を結び舟の形をつくる。三回目と同じ装束で、その中に楕円をつくり、右
  端に太鼓を打ち三名オモイの音頭取り一人立ち、太鼓の鳴るのと同時にオモイを
  唄い、それに和して扇を振りながら踊る。    

  ・舞いが終わると見物中の神女の一人が蜜柑を踊り手の真ん中に撒く。それが終
   わると猪を取る真似をして飾ってある冬瓜を槍で突きころがす。
    (神アシャギ庭での行事は以上。縄遊びがすむと他の神人は氏子と帰宅) 

  ・氏子は尾花に石を込めて結んだサンを二つづつ神に捧げ、これを持参して家に帰り
  火神の前に捧げる。健康と繁昌を祈る。他人に跨がしたら効き目がないので各自
  大事に持ち帰る。 

 ・祝女・若祝女・海の神はアシビビラモトゥ神と同道し、途中ウムイを唱え扇を振りながら
  帰り、途中火の神の祠でも同じ歌を唄いながら祝女殿内に帰る。

 ・祝女殿内で歌を唄い踊りをして、再び神アシアゲで祈願をする。 

・5回目
  神アシアゲに帰り祈願をして猪神、酒樽、鼠とをお供にかつがせ、アソビビラモトゥ・
  祝女・若祝女は海の神をお供して(駕籠に乗る)喜如嘉に行き、そこの根屋に集まっ
  て再びオモイを唱えて踊る。・祝女殿内で歌を唄い踊りをして、再び神アシアゲで祈願をする。

・5回目
  神アシアゲに帰り祈願をして猪神、酒樽、鼠とをお供にかつがせ、アソビビラモトゥ・
  祝女・若祝女は海の神をお供して(駕籠に乗る)喜如嘉に行き、そこの根屋に集まっ
  て再びオモイを唱えて踊る。

  喜如嘉の根神屋    根神屋の中の火神など 喜如嘉の浜(流しの浜)

 
   ▲辺戸の宇佐浜海岸
         ▲国頭村辺戸 

 
奥の海岸(護岸がつまれ)満潮時   大宜味村田嘉里



5、祭祀に見られる凌ぐ(シニグ)流しと弓(ヌミ)を持った所作(猪狩)

 
国頭村比地の海神祭(猪狩と海での流し場面)(奥間ノロ管轄の祭祀)

 


国頭村の与那の海神祭の猪狩の場面と海での「流し」(凌ぐ・祓い)の場面(1998年調査)(与那ノロ管轄の祭祀)『与那誌』より

 

6、祭祀での猪狩は豊漁・豊作・豊猪と同様

 

(豊作・豊漁・豊猟を願う)

 
  ▲大宜味村押川            ▲大宜味村田嘉里

 
イノシシの剥製(国頭村道の駅展示) 奥の資料館展示(うりぼう)


  
▲御神酒・山の物・川の物・海の物(豊漁・豊作・豊獣)

 

おわりに

「北山文化圏」という大きな歴史的な大きなテーマがある。イノシシは各地の遺跡からイノシシの骨が発掘されている。その主張のベースになったのが神アサギとシニグ、そしてイノシシの分布である。祭祀にイノシシが登場。害獣と目されることがあるが、海神祭やウプユミなどの祭祀の所作を通してみるとシニグ(凌ぐ・浄め)(流し)の所作に気づかされる。イノシシが各地に分布し、それが沖縄本島では北部にその住む範囲が狭まれている。イノシシ狩が豊漁・豊作と同様豊猪であったみられる。もちろん害獣の一面があるが、そこは弓(ヌミ)使ってイノシシを狩猟していた場面があり、害獣の場面はアブシバレーの害虫を海に流す所作と同様、特にシニグの祭祀に類似している。その痕跡を根強く遺している地域が、シニグ・神行事・てるの神アサギ・イノシシ(狩猟)など三山の時代の北山と重なり、生活との関わりで伝え遺しており、ヤンバルクイナやノグチゲラなどもあるがイノシシも山原域に遺っており、害獣ということもあるが、狩猟してきた人々の狩猟がなされてきた時代の生き残りっているひとつだと云えます。

「北山文化圏」という大きな歴史的な大きなテーマがある。イノシシは各地の遺跡からイノシシの骨が発掘されている。その主張のベースになったのが神アサギとシニグ、そしてイノシシの分布である。祭祀にイノシシが登場。害獣と目されることがあるが、海神祭やウプユミなどの祭祀の所作を通してみるとシニグ(凌ぐ・浄め)(流し)の所作に気づかされる。イノシシが各地に分布し、それが沖縄本島では北部にその住む範囲が狭まれている。イノシシ狩が豊漁・豊作と同様豊猪であったみられる。もちろん害獣の一面があるが、そこは弓(ヌミ)使ってイノシシを狩猟していた場面があり、害獣の場面はアブシバレーの害虫を海に流す所作と同様、特にシニグの祭祀に類似している。その痕跡を根強く遺している地域が、シニグ・神アサギ・三山の時代の北山と重なっている。

【国頭村の猪捕獲数】
  1965年度    300頭  1966年度    506頭
  1967年度   1,073頭  1975年度    599頭
  1977年度    425頭  1978年度    506頭
  1979年度    457頭  1980年度    335頭
  1981年度    234頭  1982年度    397頭
  1983年度    485頭  1984年度    223頭
  1985年度    217頭  1986年度    313頭
  1987年度    256頭  1988年度    177頭

 国頭村経済課では毎年11月から2月10日まで駆除実績(補助金交付)を受理し補助金を交付している。  2月10日まで持ち込まれ猪の下顎骨の数を確認して、県の検査員立ち合いで村の焼却炉ですべて焼却。

参考文献
・『ウーガチ―奥特集―』山原猪研究会 会報1 1994年4月発行 代表島袋正敏
・『奥のあゆみ』字誌刊行委員会(昭和61年発行)
・『本部町の文化財―本部のシニグ―』
・具志堅のシニグ調査
・備瀬のシニ調査
・今帰仁村古宇利島の祭祀の調査・研究(『なきじん研究17巻』 今帰仁村教育委員会
・『大宜味村史』 本編 しまじま
・『大宜味村史―民俗編―』2008年(平成30)
・『辺土名誌』(上・下巻) 編土名誌編集委員会
・謝名城のウンガミ調査
・大宜味村屋嘉比のウンガミ調査
・塩屋の海神祭調査
・与那の海神祭調査
・安田の海神祭・シニグ調査
・安波の犬引き
・「ふるさとの顔」(山原各地)沖縄タイムス (イノシシの記事を拾う)
・『名護市の今昔』1970年発行 (イノシシの記事を拾う)
・山原の間切内法 村内法
・平敷令治 山原の猪垣・猪狩・猪狩儀礼
・大宜味村の猪垣―猪垣調査報告書―1994年3月 大宜味村教育委員会

その他多数(特に祭祀における「流し」の所作と猪の捕獲(豊猟願い)と凌ぐ(祓い)の関係