やんばる学研究会 会長 仲原 弘哲
第 13 回やんばる学研究会を開催するにあたり、一言御礼のことばを申しあげます。これまで、名護市、今帰仁村、恩納村、旧羽地村、本部町、恩納村、大宜味村、国頭村、旧久志村と開催してきました。今回の研究会が東村で開催できたことに心から感謝申し上げます。
東村の平良・川田・宮城・(高江)・有銘・慶佐次の村々が名護間切の時代がありました。1673年に久志間切が創設されますと、川田村と平良村が、康煕34年(1695)に西海岸の大宜味間切(琉球国由来記:1713年)となり、康煕58年(1719)に再び久志間切の村となります。明治41年から久志村となり、大正12年に東村として独立します。久志村の東海岸の北側に位置します。ちょっと複雑な変遷をたどっています。その村の変遷の複雑さが、東村の歴史をたどることが、現在の東村の姿を見ていくことになります。
講演で『東村史』の編さんに関わった宮城保さんから東村の村史や博物館づくりのお話を伺えることは幸いなことです。東村の川田の根謝銘屋、大宜味村田港の根謝銘屋は北山の二つの時代の勃興と関わる。歴史をもっています。それと東村の村々の津(港)は昭和30年代まで、材木・竹・木炭など山の産物を首里・那覇などへ積み出す重要な港でした。
崎浜さんから「本部町嘉津宇における村落景観の特性」についてのお話ありがとうございます。今帰仁村歴史文化センターが開催しています「山原のムラ・シマ」講座が本部町嘉津宇でした。1719年に本部町伊豆味から移動した村です。同じ年に今帰仁村側に移動した天底があります。移動村です。移動先でウタキを設け、神アサギをつくり祭祀をっています。移動先でウタキを設け、祭祀を行うことが何なのか。そのような問いかけに答えてくれる村です。嘉津宇のユレーヤ(集会所)に北山の落ち武者の刺繍のはいた衣装や按司位牌があります。北山の歴史と深い関わりがありそうです。
崎浜さんからは地理学の手法で嘉津宇の集落景観を調査・記録していく興味深い報告でした。
宮城邦昌さんの「やんばるに残るユンヌ(与論)地名と生活痕跡について」について、興味深いテーマだと思います。与論には北山の怕尼芝の弟の三男が与論の世の主になったとの伝承があり、また与論グスクの崖に国頭墓と安波墓があり、沖縄本島を結びつける伝承があります。東村の川田には「チ之印 よろんはま原」の印部石があります。
奥には与論の山があるようで、与論と国頭村、東村との結びつく地名があり、その生活の痕跡の紹介がありました。
「山原の津(港)と山原船」の資料を見ていると「平安座から出港するものの方向、国頭地方及び道の島」とあり、また平安座に入港するもの「国頭、久志、金武」。「牛は大島郡金久村並び与論島より輸入したるものなり」とある。それとは別に、与論や道の島船、大和船が汐ががりした事例をあげると以下のような記録があります。与論船や沖永良部船が琉球にきて竹木を購入、沖縄船も見合う商売行っており、「荷改」を実施しています。以下の与論船や道之島船の積荷などがわかれば具体的な関係がわかるでしょう。
・1847年 国頭間切 沖永良部船・道之嶋船・大和船
・1848年 国頭間切 道之嶋船
・1849年 国頭間切 与論船・徳之島船・道之嶋船
・1850年 国頭間切 与論船・道之嶋船
・1850年 国頭間切安波村 大和船
・1851年 国頭間切 与論船・沖永良部船・徳之島船・道之嶋船
・1852年 国頭間切 与論船・道之嶋船
・1853年 国頭間切 与論船・道之嶋船
・1854年 国頭間切 与論船・沖永良部船・唐馬濫船
・1855年 国頭間切 与論船・沖永良部船・道之嶋船
・1856年 国頭間切 与論船
・1857年 国頭間切 沖永良部船
記録にある「船改目」は禁止木の取締だけでなく、禁止の貿易品の取締もあります。「山原と道の島との関係」は琉球形船舶もしくは日本形船」の渡航の船は「山原」や道之島を渡航していく。与論と国頭地方は日常的に刳舟で渡航し酒類と牛との交易をしていたとあります。与論と国頭との関わりを今後とも調査研究に期待します。
宮里ひな子さんの「津嘉山酒造所の修復事業について」ついての話とも関わってくる材木の件です。先月沖縄地域史協議会で「社寺と民間の建造物」で話す機会がありました。なぜ山原で木材の建造物が発達しなかったのかの話をしました。それは首里那覇以外では社寺と公舎(番所)でなければ瓦葺きは許可されなかった。明治の15年まで屋敷や家屋や墓の制限があり、その範囲でしか作れなかったのです。
田地奉行規模帳に母屋は四間×三間、台所は二間×二間(屋敷は百坪と言っても、上木税のかかる棕櫚や蜜柑、芭蕉芋、楮木(こうぞ)等を植えた)、用材の制限あり、樫やもっこく(イーク)は禁止・瓦葺きは堅く禁止されていました。そのために山原では木材建物の発展はなかったということです。戦前から密造はなされていて、港(津)での取締は厳密に行われていました。酒屋が許可されたのは昭和の初期のようです。戦前の山原船の「諸港津巡視」は、「焼酎密輸出入」でした。木材の建造物、戦前からの焼酎の輸出入についても展開していくことを期待します。
山原(やんばる)を視野に入れたとき、研究に欠かせないテーマが数多くあります。みんなで拾い上げていきましょう。
2017年11月25日
平成 29(2017)年度 やんばる学研究会 総会・第 13 回研究(終了)
1.日 時:平成29(2017)年11月25日(土) 13:00受付/13:30開会
2.場 所:東村立山と水の生活博物館
3.日 程:
13:00~13:30 受付 (30分)
13:30~14:00 総会 (30分) 休憩・研修準備(15分)
14:15~15:15 研修会【講演】 (60分) 休憩(15分)
15:30~17:00 研修会【研究発表】 (90分)
17:30~20:00 情報交換会
4.総会次第:
①一会長挨拶 仲原 弘哲
② 総会議案第1号 やんばる学研究会会則改定について議案第2号
やんばる学研究会役員選出について
③ 閉 会
5.研 修 会:
【講演】「東村の博物館や村史づくりに関わって(仮題)」
中村 保 [元東村教育委員会職員
【研究発表】
①本部町嘉津宇における村落景観の特性/崎浜 靖・梅澤孝徳・奥原彩佳
②やんばるに残るユンヌ(与論)地名と生活痕跡について/宮城 邦昌
③津嘉山酒造所の修理事業について/宮里ひな子
※今年度会費納入がまだの方は振り込み、または当時お支払いお願いいたします。