平成24年8月2日
ムラ・シマ講座参加者のみなさん                                  今帰仁村歴史文化センター
                                                      館長 仲原 弘哲(公印略)

20期 第4回「山原のムラ・シマ講座」開催のお知らせ
                    (平成24811日 土 実施)


 第4回目の「山原のムラ・シマ講座」は本部町健堅です。健堅の山手(大小掘川)の上流は健堅のムラの発祥地(古島)だとされます。古島から、健堅(キンキン)と呼ばれる地(一班:ウインバーリ)に移り、そこにウタキ(ウガンヤマ)があり、神アサギ、旧家跡(タマウドゥン・お宮とも呼ばれる)などがあります。健堅の祭祀は本部(崎本部)ノロの管轄です。健堅の小字に駆原(かけばる)があり、そこは健堅大親と関わる名馬がかけ廻ったことに由来するといいます。墓が駆原にあり、健堅大親にまつわる伝承は今に伝わり、屋敷跡もあります。健堅大親の墓の前から瀬底大橋が架かっています。

 麓の浜崎(ハマサチ:ナカンバーリ)は糸満からやってきた漁民が中心となり、集落を形成しています。瀬底島との渡し場でもありました。現在は大型のフェリーや伊江島とのフェリーの発着場(港)となっています。その側に浜崎の漁港があります。そこは瀬底島と健堅との間の渡し場でした。

 1736年健堅と崎本部との間にあった石嘉波村が瀬底島の東側へ移動し、石嘉波の故地は健堅石川原と呼ばれ、崎本部の石川と区別しています。石嘉波村が移動すると、そこは寄留人が集落を形成していきます。本部間切の地頭代は健堅大屋子(親雲上)を名乗ります。今帰仁間切が古宇利親雲上を名乗るように健堅と瀬底島の間が重要な港であったことに起因しているのでしょう(瀬底親雲上でもよかったかも)。

 健堅は古島から移動、かつてあった石嘉波村が移動、麓の浜崎は糸満からの漁民や他からの人達が中心となって形成された集落です。それらのキーワードで健堅を回ってみましょう。歴史的にも興味深いムラです。

8月11日(土) 午前9時に歴史文化センターに集合。9時30分バスで出発します。

 ・本部町健堅についての概要説明をします(於:歴史文化センター。午前9時集合)
  ①健堅の集落の形態(丘陵地の集落と麓の集落)(午前9時40分 本部町健堅へ出発)
  ②健堅大親の墓や屋敷跡(墓と屋敷跡地は別々にあります。)
  ③海岸沿いの集落(浜崎)と瀬底島
  ④ニーヌファヌウタキ
  ⑤健堅の丘陵地の集落(本アザ:一班)(旧家:ヒナジ殿内・松川家・タマウドゥンなど)
  ⑥健堅の神アサギ
  ⑦健堅のウイヌウタキ

       (12時30分には歴史文化センター着予定、報告お願いします)

 ・健堅大親の墓と住居跡地の拝所

健堅大親は『球陽』(1394年)で「健堅大親給馬中華人以蒙招撫」(けんけん うふや うまを ちゅうかじん もって しょうぶを こうむる)とあり、久米島の堂之大親と親交を結び、暴風で久米島に漂着した中華人を連れ帰り、船と良馬を与えたことから、中国の皇帝は琉球国王を介して幣帛と石碑を贈り褒賞したという。住居跡地はアメラグスクの地にある(そこに移設されたようである)。墓のある場所は、中国に献上した名馬に因んで「駆ケ原」と小字名になっている。

  
▲健堅大親の御墓               ▲健堅大親の屋敷跡内の池         ▲健堅大親の屋敷跡(移転地)

・健堅の浜崎港と竜宮の宮 

健堅と瀬底島の間は古くから中国や薩摩への船の停泊した場所で唐泊の地名がある。大型船の発着や避難地として利用されている。そこに鳥居のある「竜宮神」(お宮)がある。浜崎の入江や大小掘川の河口は山原船などの出入りした津(港)であった。

 
▲浜崎漁港              ▲浜崎漁港近くにある「竜宮神」(お宮)

・ニーヌファーの拝所
ニーヌファーは女神を祀ってあるという。

 
▲ニーヌファ(ウタキ?)のイベ      ▲ニーヌファーの祠         ▲祠内の香炉

・ヒナジ殿内(松川家)

 ヒナジ殿内は松川家とも呼ばれ、辺名知からやってきた家筋のようである。健堅の草分けの一軒と見られる。ムラの拝所の一つとなっている。


▲ヒナジ殿内(旧家の一つ)                 ▲ヒナジ殿内の内部

・旧家の跡
 イッチャファーヤの後ろにりっぱな石垣の屋敷がある。どんな家筋?
 

・タマオドゥン(玉御殿・健堅大親御願所ともいう)

 祠の内部に「御先中世健堅比屋 父 松 幼名 次郎  次男 亀寿  子之神 夫 太郎 妻 オミチル」と記された位牌が置かれている。関帝王の図像、観音、香炉(8)が置かれている。

 
        
▲タマウドゥン                         ▲タマウドゥンの内部

 
▲タマウドゥン内でのウガミ             ▲お神酒を以て旧家やタマウドゥンへ

・神アサギとウタキのイベ

  アサギは石嘉波家(仲宗根家)の屋敷にあったようで、同家は根屋であったと見られる。神アサギは現在地に移設され、後方に根所火神が祀られている。祠内に女神・男神・火神が祀られている。神アサギの後方にウタキがある。一合ユーバン(旧7月22日)がある。その時の拝む順序はアマカワ御嶽(ゴルフ場内)→ニーヌファ→ヒナジ殿内→女神→ウイヌウタキ→タマウドゥン→根屋→アサギである(但し、神アサギと女神が移動する前の流れである)

 
     ▲現在の神アサギと根所火神(後方)              ▲ウイヌウタキのイベ

  
▲移設前の神アサギ(旧家の屋敷内)                     ▲ウイヌウタキのイビでのウガン(祈り)