伊平屋島調査
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【伊平屋島調査】2014年8月24日(日)

 伊平屋島ゆき。今回は伊平屋島の田名(前泊)・我喜屋・島尻・野甫を踏査する。昨年予定したが台風で行けず。それが頭の隅に仕えたままである。そのつかえが取れるかどうか。目的は第一尚氏王統の生誕地、祭祀にみる山原的祭祀遺跡(特にシヌグ)、神アサギなど。

 フェリーを降りると車を借り、隣接する伊平屋村歴史民俗資料館へ。展示を拝見。上江洲均先生調査の海神祭の(田名)流れを頭にたたき込み田名へ。月曜日一便で帰る必要があり、大急ぎの踏査。田名グスクの頂上まで登ったので足がガクガク状態。

 『琉球国由来記』(1713年)で「シノゴオリメノ事」とあり、(七月、島中ニテ日撰仕申。遊一日ノ事) 
 右、アクマハライ(悪魔払い)トテ、男童十人程、ママミ(アマミか)一人、衣□袴ソ着テ、白サジ、
 シレタレ、結ビシテ、手々ニ、棒ツキ、アマミ人、並、其日ノ、年ナフリノ人、弓矢持、先立仕、
   オナヂャライハウ、エイヤイハウ
  ト唱テ、家々ニ入リ、又島ノニシ崎マデ行テ、ネヅミヲ取リ、年ナフリ持タル、矢ノサキアテ、海ニ
  入レ捨テ、村ニ帰リ、一所ニ寄合、神酒持寄、祝申也。

 『琉球国由来記』(1713年)を見ると、伊平屋島(伊是名・伊平屋)の「海神折目」は十一月に行われる。
  (同月、島中ニテ日撰仕リ申。遊一日ノ事)
 右、海ノ神御祭用ニ、神酒肴餅、相調、伊是名城御イベ前ニ、ノロ・掟神申請、御祭仕、ヲエカ人・サバクリ、
 御拝四ツ仕也。来不伝。

 かつてはシヌグと海神祭を行う月が7月と11月と離れて行われていたのか。二つの祭祀はシヌグが悪魔祓い、海神祭は海の神まつりと、はっきりと分かれていたか。伊平屋島(伊是名・伊平屋)の祭祀は「公儀」でムラごとの祭祀というより島全体が公儀の祭祀である。そのようなことを念頭に入れながらの踏査。


【田 名】

 田名の集落はウタキ(グスク)を背にして展開している。集落の最後部に旧家(ヒャーやノロ殿内)があり、現代的な神アシアゲの建物となっているが、神アシアゲは旧家の屋敷内に置かれる特徴をもつ(伊是名・伊平屋も)。前泊にシヌグ堂がある。前泊は田名から分離した行政区である。分離する以前からシニグドーが前泊地にあったのであれば、シニグの時、田名から前泊まで祭祀を行っていたことになる。田名集落内にシニグモーがあり、前泊の他の祭祀は田名で行っているのだろうか(確認が必要)。


1.前泊のシヌグ堂
2.マージャ御嶽
3.田名旧公民館
4.シヌグ毛
5.田名神社(田名ヒヤ)
6.神アシャギ
7.田名ノロ殿内
8.田名城(城嶽御イベ)
9.ナートゥンチビ
10.土帝君

   
  ▲前泊のシヌグ堂       ▲田名神社(ヒヤー殿内)     ▲田名の神アシャギ       ▲田名ノロ殿内

   
▲田名グスクの門跡?    ▲頂上部付近にある池跡  ▲頂上部の香炉(二基) ▲ナートゥヌチビの岩場(神送り)


【我喜屋】

 我喜屋は移動集落である。故地にヒャー殿内・神アシャギ・ノロ殿地などを拝所として残してある。神アシャギは旧家の屋敷内に置かれている。鮫川大主が住んでいたという場所をウタキにし、さらに片隈神社としている。円形のシヌグモーがあり、片隈神社(ウタキ)に向けて入口が開いている。

  
  ▲我喜屋のヒャー殿内          ▲我喜屋神アシャギ            ▲ノロ殿内

   
▲円形のシニグモー     ▲八重口(墓?)      ▲海岸にある鮫川大主の墓      ▲片隈神社


【島 尻】

 移動集落である。シヌグモーは安波岳にむけて開いている。集落は安波岳と賀陽山の間に発達した集落である。我喜屋ノロ管轄の村である。神アシヤギは田名・我喜屋同様、旧家の屋敷内に置かれている。

  
 ▲島尻のヒヤー殿内      ▲ヒヤー屋敷内にある神aシアゲ  ▲島尻のシヌブモー(安波岳)


【野 甫】

  
 ▲野甫のシヌグモー跡           ▲大山展望台からみた集落       ▲野甫神社とウタキのイベ

 
    ▲水の少ない島(深いので釣瓶を使ってくむ)             ▲三つの口のある墓(門中墓?)