2022年1月28日(金)    トップへ

 過去に奄美大島の加計呂麻島を訪れている。その時は、神アサギとシ二グがテーマとしていた。1609年以前の琉球的なものがどう遺っているかの確認であった。奄美の島々を歴史の視点で見ていくことができるのではないか。同時代史料の少ない時代を見ていく手がかりをさがしてきた。辞令書をとおして奄美の琉球国統治の時代を見ていく。

古琉球の時代に発給された辞令書と奄美

 首里王府が発給された辞令書は三山統一後、さらに第一王統から第二王統になった時代、尚真王時代に中央集権国家、さらには祭祀組織の編成がなされ、奄美もその統治下に組み込まれた時代がある(尚真王、中央集権と階級制度の確立:1478年)その時代と首里王府(琉球国)の歴史としてみていくことができる。沖永良部島と与論島に辞令が確認されていないが、のろの配置があったことが認められる。

  (工事中)

1350年 宮古・八重山中山へ入貢

・尚巴志三山(北山・中山・南山)の統一
・1500年 オヤケ赤蜂の乱
・1501年 仲宗根豊見親宮古頭職に就任
・1502年 八重山の大阿母神職と沖永良部比金職を設置

【奄美に遺っている1609年の辞令書】


1502年 沖永良部比金職を設置か

①1529年(嘉靖8年)「かさりまきりの うすくの大やこハ」

    笠利間切の宇宿大屋子職補任辞令

●1531年 「おもろさうし」第一巻の編集

②1534年(嘉靖13)「せとうちひかまきりの 首里の大屋子ハ」
    瀬戸内東間切の首里大屋子職補任辞令(年欠)

●1537年(尚清王元年)

    奄美大島を討伐する

●1539年 自奥渡上扱理に毛見彩任命

③1548年(嘉靖27年)「せとうちにしまきりの にしの大やこハ」
    瀬戸内西間切の西の大屋子職補任辞令

④1554年(嘉靖33年)「きゝやのしとおけまきりの 大くすくの大やこハ」

    喜界の志戸桶間切の大城大屋子職補任辞令
⑤1554年(嘉靖33年)「やけうちまきりの なおんのおきてハ」
    屋喜内間切の名音掟職補任辞令


⑥1554年(嘉靖33年)「やけうちまきりの なからのろハ」

    屋喜内間切の名柄掟職補任辞令

⑦1556年(嘉靖35年)「やきうちまきりの なからのおきてハ」

    屋喜内間切の名柄掟職補任辞令

⑧1568年(隆慶2年)「(かさりまきりの)かさ里のしより大やこハ」

    笠利の首里大屋子職補任辞令

⑨1568年(隆慶2年)「せとうちひかまぎりの しよりの大やこハ」

    瀬戸内東間切の首里大屋子職補任辞令

1589年(隆慶3年)「ききやのひかまきりの あてんのろハ」

    鬼界の東間切の阿田のろ職補任辞令

1571年 尚元大島遠征、馬順徳国頭親方正格従軍

⑪1571年(隆慶5年)「せとうちひかまきりの あきにやめさしハ」
    瀬戸内間切の阿木名目差職補任辞令

⑫1572年(隆慶2年)「やけうちまきりの へれんの大やこハ」
    屋喜内間切の先原目差職補任辞令


⑬1572年(隆慶2年)やけうちまきりの やけうちの大やこハ)

    屋喜内間切の屋喜内大屋子職補任辞令

⑭1574年(萬暦2年)「せとうちにしまきりの すこものねたちへ」

    瀬戸内西間切の須古茂のねたちへの知行安堵辞令

⑮1574年(萬暦2年)「せとうちにしまきりの すこものたるかち」

    瀬戸内西間切の須古茂のたるへの知行安堵辞令

⑯1574年(萬暦2年)「せとうちにしまきりのこしのさかい」

    瀬戸内西間切の須古茂のさかいへの知行安堵辞令

⑰154年(萬暦2年)「せとうちんしまきりの(未)」

    受給者不明 知行安堵辞令

⑱1579年(萬暦7年)「やけうちまきりの へれんの大やこハ」

    屋喜内間切の部連大屋子職補任辞令

⑲1579年(萬暦7年)「なせまきりも しよりの大やこハ」

    名瀬間切の首里大屋子職補任辞令

⑳1583年(萬暦11年)「やけうちまきりのなからのろハ」
   屋喜内間切の名柄のろ職補任辞令

㉑1587年(萬暦15年)「なせまきりたいくまのろハ」

    名瀬間切の大熊のろ職補任辞令

㉒1588年(萬暦16年)「せとうちひかまきりの大やこハ」

    瀬戸内東間切の首里大屋子職補任辞令

㉓1595年(萬暦23年)「せとうちにしまきりの にしのおきてハ」
    瀬戸内西間切の西掟職補任辞令書


㉔1600年(萬暦28年) 「とくのにしめまきり」

    徳之島間切の手々のろ職補任辞令

㉕1602年(萬暦30年)「せとうちにしまきりの こしのろハ」

    瀬戸内西間切の古志のろ職補任辞令

㉖1603年(萬暦31年) きゝややの あらきまきりの てくつくの大やこハ」(追加)
       きゝやのあらきまきりの□□□めさしハ」
      鬼界間切の□□□目差の辞令書
㉗1606年(萬暦34年) きゝやのあらきまきりのてくつくの大やこハ」(追加)
      鬼界島荒木間切手津久大屋子辞令書     

㉘1607年「(萬暦35年)「なせまきりのにしのさとぬしハ」
     名瀬間切の朝戸掟職補任辞令

㉙1609年(萬暦37年)「せとうちにしまきりのにし大やこハ」

     名瀬間切の西の大屋子職補任辞令

㉚1609年(萬暦37年)「なせまきりの にしのさとぬしハ」

     名瀬間切の西の里主補任辞令書

  追加㉖㉗は「喜界島の古琉球辞令書」「九州国立博物館学芸部文化交流展室」より
        「奄美喜界島の古琉球辞令書について」高良倉吉 琉球大学日本東洋文化論集より


・1609年 島津氏の琉球征伐

・1611年 与論島・沖永良部島・徳之島・奄美渡島・喜界島を薩摩に分割
     薩摩、琉球の検地完了
・1614年 国頭按司正弥(国頭左頭)として薩摩へ赴く。