山原の図像①②
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2003.11.2(日)過去調査
【山原の図像】①
関帝王について地域資料に目を通してみた。「毎年諸祭記」と「家内日記」の二つ。「毎年諸祭記」と「家内日記」は羽地村(現在名護市)我部祖河の仲ノ家の家文書である(『羽地落穂墓集』旧羽地間切地方文書集成―小川徹」)所収。両者の内容は光緒五年(明治12年)以後のようだが、後者のは戦後書き改められているようだ。
「毎年諸祭記」から関帝王に関わる部分だけ抜き出してみた(数多くあったであろうが、欠落しているので一月の一部しか知ることができない)。
・正月元旦 関帝王御前并御神御棚御前、おふく差上げの事
・歳 夜 関帝王ノ御前、御神御棚御前、おふく差上げ之事
・正月初歳日 関帝王御前并御神御棚御前おふく差上げ之事
「家内日記」から関帝王を拝む日を掲げてみると以下の通りで、祭祀があるごとに関帝王に祈願しているようだ。それは大変だワイ。それだけ祈らないと叶わないのか?
・正月歳の夜
・正月元旦
・正月十四日
・正月十五日
・二月春分祭
・田植付初
・田植首尾
・四月あふし払
・五月十三日(関帝王の誕生日)
一 花池之事 一 御茶湯差上之事
一 美花・御五水・洗美花差上、拝礼之事
一 おふく差上之事
・六月しち満(シチュマ)
・六月苗代打チ
・六月廿六日折め(ウイミ)
・七月十三日
・七月十五日
・八月九日(スバシ)(折目)
・八月十日(シバシ)
・八月十五日
・八月わら遍神酒
・八月秋分朝
・九月ミヤ種子折目
・九月御願(御解立願)
・十月種子撒入(同仲ノ夜)
・霜月大願
・霜月廿八日
・十二月八日鬼餅
関帝王は祭祀のたびごと拝まれているようだ。関帝王の誕生日の五月十三日には花をいけ、御茶湯を捧げ、美花(ミパナ:白米)、御五水(お酒)、洗美花(洗った白米)、おふく(ごはんを蒸して湯のみ茶碗に入れて供える)などを供えて拝んでいる。
下の図像は今帰仁村諸志の大城家の関帝王図である。馬に跨った関羽と旗を持っているのは家来の周倉で、二人像である。左の画像は神屋の様子であるが、左側に火神(画像ではみえない)、二基の位牌、そして右側に関帝王の図像が掲げてある。大城家は士族ではない。旗に描かれているのは日?で、ムカデ旗?か。現在の当主に関帝王を何故掲げてあるのか尋ねたが定かではなかった。各地から拝みにくるようだ。
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▲今帰仁村諸志の大城家の神屋の内部の様子 ▲馬に跨った関羽と周倉(二人図)
2003.11.3(月)
【山原の図像】②
「沖縄の民間信仰と図像」の展示会(於:沖縄県芸術大学)が開催されている。まだ展示を見ていないので明日には見に行かないといけません。展示されている図像調査をベースに講演?をしないといけないのですから。これまで山原で調査した図像を一点一点確認する作業を進めます。ここ4、5日は講演に向けての資料整理の報告になりそうだ。
さて、『球陽』の尚貞王23年(1691)の条に「関帝王の神像を創建す」の記事がある。
康煕癸亥、冊封勅使汪楫・林鱗煌、本国の帝王を供することを無きを惜しみ、
竟に帝王廟を創建するの意を以て深以て許愿し、乃ち白銀伍十両を捐して此
の像を創建するを請乞す。庚午年に至り、王、貢使をして能く関帝及び関平・
周倉の聖像を塑せしむ。明くる年の夏、此の神像を奉じて回り来る。即ち上天
妃廟内に、別に一壇を築きて其の像を奉安し、以て聖誕及び春秋の祭礼を致
し、永く護国伏魔の神と為す。
1683年に冊封使が来琉の時、関帝がないことを惜しんで、帝王廟を創建することを請うている。そして1690年に五十両を出して三人像をつくらせている。1691年が関帝王の琉球への導入の初めとみなしてよさそうである。そのとき関帝・関平・周倉の三人像を上天妃廟内に図ではなく「其の像」を奉安している。生誕と春秋に祭礼をし、護国伏魔の神として祭られたようであるが、山原では護国は別にして魔を伏させることが祈りが主になったのであろうか。さらに像より図の方が流布して民間に掲げられるようになったのかもしれない。
下の図像は本部町辺名地の仲村家。福禄寿(文字図)・福禄寿(人物図)、それに関帝王図(三人図)が掲げられている。もちろん、火神・位牌も安置されている。仲村家にある関帝王の図は、左手に書物を手にした関帝王・長刀を持った家来の周倉、後方に包みを持った子の関平の三人図像である。関帝王図に三人像・二人像・一人像がある。
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▲本部町辺名地の仲村家の図像 ▲関帝王(三人図)
2003.11.5(水)
昨日「沖縄の民間信仰と図像」の展示を見にいく。見に行くと他人ごとのように言っているが、歴文も関わりがあり責任もある。図像研究会のメンバーと山原調査に同行したこと。そしてその時、あるいは別調査で確認した図像の情報や画像を提供したこと。まあ、そんなとこか。それで図像の展示会に足を運んだしだいである。
さて、図像の展示を見ながらいろいろなことを思い描いていた。その分類と説明でメチャクチャになっている頭の整理をすることができた。図像研究会のメンバーといろいろと話す時間があり、たくさんの情報をいただきありがとうございました。
私は8日の講演の練習をちょっとしたようなもんであった。展示会では30数枚の図像紹介がなされている。これまでの山原での調査点数は200点余だったと記憶している。その全てを紹介することはできないが、図像にまつわる話がいくらかできればと考えている。
展示された図像を見ていると、それを掲げている方々の思いが伝わってきそうである。何故、このような図像を掲げているのか、理路整然とした答えが返ってくるわけではなかった。しかし、そこに沖縄の方々の神観念がうかがうことができたと思う。掲げている図像そのものの意味が理解されていなくてもである。
調査した方々の家や神屋に掲げられている図像を思い起こしながら、これらの図像のどこlこか掲げた家主の願いや願望や思いや願いを託しているように見える。図像の調査研究をし公開していく意義は、掲げている方々の思いを汲み取ってあげるところに主な目的があるし、また図像の意味を少しでも理解の手助けになれば幸いである。
図像の情報や資料を提供して下さった方々に対して、図像を掲げた動機がわからなくても、調査したものは資料提供者に還すという歴文のスタンスで報告したいものです。図像の展示を見ながら、そんなことを思い描きながら報告しようと考えているのだが・・・。
展示は以下のように分類して展示してありました。講演に来られる方は、展示を先にご覧になった方が理解しやすいと思います。勝手なお願いです。
①関帝王
②福禄寿
③沖縄の伝説や神話にかかわる図像
④今帰仁村湧川新里屋の図像
⑤金満殿内(兼次上殿内)
⑥千手観音菩薩
⑦鍛冶神
「山原の図像」は新しくページつくりました。随時書き綴っています。もしかしたら、当日の講演原稿かもかも・・・・・。しっかり読まないで下さいませ。時々、「原稿通り話をしていない」とおっしゃる方がおりまして・・・・。
2003.11.6(木)
これまで調査した図像の写真を整理する一日である。他の写真もはいているので、雑多な中から図像を拾い出す作業である。ノートのメモと照合する時間はなさそう。前後の写真を手掛かりに場所・家を思い出していくが、すでに迷子の写真もいくつか出ている。「まあ、中間報告でいいか」と手抜きを考えブツブツ独り言。今日で一通り写真の整理はしないと。明日、何があるかわかりません。すでに予約の来客ありですから。
「山原の図像」のページでボツボツ書き込みをしているが、歩き回っただけのメモ調査と記憶だけでは心もとないので、回りの資料をお借りするハメになっている。手助けも欲しいところだが・・・。図像の写真整理をしてからです。次は・・・・そうそう講演のベースとなる図像一覧表とレジメが必要なり。それと印刷・製本と・・・。ああ、大変じゃワイ!
そんな最中、19日にシマのおばあ・おじい達の「古宇利島ミグイ(回り)」をしたいと。それに「古宇利の字誌」の編集員会の日程調整(12月4日?)でやってきた古宇利区長。試食にとシマの特産品のユデダコ持参で来館。ふい島の特産品になるか職員で試食してみます。ありがとうございました。
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▲図像の写真選び出し中なり ▲写真を整理していきます
(まだ、デジカメを入手していなかったので・・・)