2012年10月4日(工事中) 

 与論島までゆく。台風の直後で被害多し。与論島のムラ・シマ(大字)を見ていくには、どうしても大字の変遷をたどる必要がある。沖縄の現在の字(アザ)の歴史的変遷とは異なっている。しかし、ムラ・シマの内部な構造は類似するのがあり、それは沖縄の近世以降の行政村になっても、古琉球の時代からの流れを踏襲しているのではないか。そのことを見究めていこうとするのがテーマである。

 与論島(与論町)には現在行政区として茶花・那間・東区・西区・立長・朝戸・叶(かのう)がある。与論島の集落の成り立ちを見ていく場合、どうしても近世から現在に至る行政村(大字)の変遷を頭に置いておく必要がある。合併と分離があるので、集落に行政村がかぶさってくるので複雑である。(「琉球と与論・沖永良部・徳之島の三島」として報告あり)

 【東間切】
  ・麦屋村・・・・・与論町麦屋・東区・西区・城
  ・中間村・・・・・与論町那間
  ・茶花村・・・・・与論町茶花
  (・赤佐村・・・・与論町茶花)

 【大水(西)間切】
  ・朝戸村・・・・・与論町朝戸
  ・瀬利覚村・・・与論町立長・麦屋・城(明治21年に立長村)
  ・古里村・・・・・与論町古里

 大正6年以降に立長(旧瀬利覚)の、
   ・甲立長・・・・城
   ・乙立長・・・・立長
   ・甲麦屋・・・・城
   ・乙麦屋・・・・麦屋(大正8年に東区と西区に分離)大正9年に戸(旧朝戸村)のうち、
   ・甲足戸?・・・足戸(昭和30年に朝戸に改称) 
   ・乙足戸・・・・・叶(カノウ)


【参考文献:『与論町誌』、『鹿児島県の地名』平凡社、『与論島―琉球の原風景が残る島』高橋・竹著】

     与論島(2012.10.8)
 
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