【国頭村与那の海神祭】
これまで国頭村与那の海神祭(ウンジャミ)は見たことがない。それで今年は与那の海神祭の調査をすることに。その前に、どのような視点で見て行けばいいのか。その下調べから。調査に入る前に、1969年に発行された『沖縄民俗』(琉球大学民俗クラブ)から「ウンジャミ」の流れを把握することから。
40年余経過した今日どのように変貌しているのか。その視点での調査をしてみることに(調査がうまくできるかどうか?)。また古宇利島の海神祭や他の地域の海神祭と比較してみることも。海神祭の三日前の酉の日はミタベー、亥の日は海神祭、海神祭の翌日の子の日はワラビウイミとして行われる(どのように変貌、簡略化されてるか!)。
『山原の土俗』(島袋源七著:大正14年)
・与那の祝女は同村与那・謝敷・佐手・辺野喜・宇嘉の五ヶ字の祭祀を掌る。各字に神人はいる。
・ウングマイ
祭の三日前の夜、神人だけでアシアゲに集まって、儀式を行う。その夜は神アシアゲの周囲の民家
の男は、総て他家に行って宿泊せねばならない。また夜外出する事はいたく禁じられている。
・祭の当日
神人は祝女殿内へ集まる。その時各字から来た神人(男)は儀式用具を持つ様になっている。
即ち宇嘉の神人は月を持ち辺野喜の神人は太陽を持ち、佐手・謝敷の神人は太鼓を打つこと
になっている。用意が整うと行列をして神アシアゲに参る。月と太陽はウチバという。
・神アシアゲ内
アシアゲに至ると図のように着席し祝女は祈願する。
祈願が終わると大勢頭は弓を持って庭にかざってある冬瓜で作った猪を射る真似をして幾度も
ねらいを定め直す。その間ムラ神は猪を両方から囲み立て大勢頭に加勢をなす。遂にこれを射
れば、根神・ウチ神・祝女等は大勢頭とムラ神を取りかこんで太鼓を鳴らす。ウチバは特に歓喜
の情を見せて踊り狂う。
・ナガレ
しばらくして猪を持ち神人は行列をして浜に参る。大勢頭は猪を砂中に埋めムラ神と共に弓の先で
その
上をつつき山に向って礼拝す。神人は頭にかぶっていたカブイ(トーカンラという蔓草で作ったも
の)を海に流す。それで式が終わる。
『沖縄民俗』(1969年調査:琉球大学民俗クラブ)調査
・三日目の酉の日にはミタベー(神人がヌンドゥンチでウンジャミがあることの予告の祈願)。
・七月盆明けのの亥の日
・ウンジャミの日、神人はヌンドゥンチに集まり祈願をする。
シンメーダキ、ウサギヤビティ、ムヌマキン、カジマキン、シミミソーラングトゥ
健康ニカミブリンシミソーリ
・祈願が終わるとアサギへスネーイ(行列)
シル神二名と村人一名の計三名が三日月と満月の模型と太鼓を持つ。
村神は弓や弓矢を持つ。
・アサギにつくと村の人々と一緒に健康祈願をする。
・村神、根神は扇を右手に持ち、左手で縄をつかまえて揺り動かしながらエーヒドゥヌサチーのオモロ
を謡う。
・他の神人はアサギで見守る。
・何ももたずに、縄もつかわないで円陣をえがきエーアカムヤー、続いてエークガチンヌーのオモロを謡う。
・その後、青年達が網で魚を取る真似をする。籠に魚にみたてた木片などを入れて山の神に供える。
・スブイ(冬瓜)かカボチャでヤマシシ(猪)の形をつくり、村神のメーウンニー家のおばあさんが弓矢で
射る。
・弓矢で猪を射って東に向って弓を三回あげる。
・まさぐ浜に行く。(他部落の神人を見送る)
・イスヌウカミ(磯の御神→海の神)へ猪を供える。
・それが終わるとヌンドゥンチに行き、祭りの終わりを告げ、謡い踊る。
・与那部落所有の田のムッチマシから収穫した米で作った餅を、四部落(宇嘉・佐手・辺野喜・謝敷)
からは一戸当りエーヌクヮ(魚の一種)十尾を竹で串刺ししたものを三組づつアサギで供えて神人に
配る。
・与那区民一人当り米一合ずつ徴収して神人に一人当り三升ほど配り、残った米で翌日使うホイ
ヤーミチ(神酒)をつくる。(当時(1969年)には金を徴収している)
・海神祭の翌日(子の日)はワラビウイミと称し、昼頃アサギの広場でユノウシ(椀)にホイヤーミチ
(神酒)を入れたのを一対お膳に置き男一人で飲む。この時、一人の神人がホイヤー、ホイヤー
と掛け声をかけながら太鼓を叩き、後ろ側の一人の神人が男の耳をつかまえ揺り動かす。神酒が
こぼれてしまう。
・神酒がこぼれあふれる程作物ができて欲しいとの祈願。
・その日はノロ・若ノロ・ウスー(御主)は招待客であり、駕籠に乗って見守る。拝みをするのは根神
が中心である。
・根神・掟神・ウフシル神・村神(2名)の計5名はアシビガミ(遊び神)と呼ばれアサギマーで踊る。
@ノロドゥンチでの祈願(謝敷の神人達が参加)
A神アサギミャーの様子(与那の方々がアサギ庭に集まる)
B神アサギ及び船漕ぎ儀礼
Cウンコイ庭(七回廻る) Dアサギ庭でウタを謡う
E魚の捕獲 F猪をしとめる
G海岸への行列 H海岸(流し)での祈り