旧羽地間切(戦後屋我地村)                 トップへ

   饒平名


2014年11月30日(日)メモ

 名護市饒平名をゆく。平成26年度の「山原のムラ・シマ講座」の最後の地で下見の踏査である。饒平名は屋我地島にあり、戦後羽地村から分離した屋我地村にある。役場や郵便局や小中学校、診療所、駐在所などがあり村の中心地となっていた。現在でも名護市屋我地支所がある。

 饒平名の集落は大きくウンバーリとシチャンバーリとの分かれる。屋我地島の饒平名・済井出は屋我から分離したとの伝承がある。そのためか、ノロが任命された時代(1500年代)は屋我島一つであったのであろう。そのことに起因するのかノロ名は屋我ノロであるが、ノロ殿内があるのは饒平名である。そのことを物語っているようだ。屋我・済井出・饒平名は屋我ノロの管轄村である。饒平名と隣接する我部は今帰仁村湧川地内あった村が1736年に屋我地島に移動してきたもので、我部ノロがいる。

 饒平名のムラの形は、集落後方(北側)にウタキがあり、ウタキを背に羽地内海の方へと展開する。集落を区分をバーリとある。

 集落内には福木の屋敷林がいい。集落後方のウタキ林が抱護となっている。


 
     ▲フルディラ(御嶽のイベ)                   ▲シマヌハー

 
▲饒平名簡易水道第一貯水槽(昭和9年3月)    ▲饒平名の集落内の福木がいい!

 
   ▲饒平名の集落内の屋敷跡            ▲饒平名神アサギと屋我ノロドゥンチ

 
     ▲饒平名のマーウイ(馬場跡)            ▲マーウイ跡(約120m)