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・山川
2013年10月1日(火)
本部町山川の「山川垣内権現」と周辺の風葬墓を整理した古墓をみる。山川垣内権現洞窟遺跡は県指定の文化財となっている。その説明をみると「沖縄考古編年V期〜グスク時代初期の洞窟遺跡。床面直上で後V期〜グスク時代初期に属する厚手の無文土土器が見られるほか、少量の火葬人骨を入れた完形の須恵器が安置されている」とある。
その対岸崖下にある石積み囲いの墓がある。詳細な報告書を見ていないが、木柱が両側にあり、両柱上に置かれていた柱が下にある。正面はチニブなどで閉じられていたのであろうか。墓内に新しい厨子甕(蔵骨器)が40余あり、整理されている。
メモ:
明治4年 琉球、薩藩の所轄を離れ、鹿児島の管下に属す。
明治5年 陰暦を廃止し、太陽暦を頒布する。
明治5年 琉球を藩とし、尚泰を藩王に封じ華族に列する。琉球藩は外務省の直轄となる。
明治6年 国旗を琉球に賜い、久米島外四島に掲揚させる。7月ドイツ商船ロベルトン号宮古沖で遭難する。
明治7年 琉球藩は内務省に改め属する。
明治7年 英国軍艦来航、藩王に金時計を贈り、前年難民救護の礼を謝す。
前年(明治6年)難民救護は国頭間切宜名真の英国船の座礁をさすか。
明治8年 平民に氏を称し、定かでないものは新設する。
明治9年 16の休暇日を日曜日を用いる。2月ドイツ帝国、宮古島に遭難したドイツ民のために碑を建立する。
ドイツの軍艦チクロープ号来琉、藩王に謝恩のため金時計、望遠鏡を贈呈する。
明治12年 尚健、尚弼を華族に列す。