本部町浦崎
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・謝 花
【本部町浦崎】
(2013年12月25日)
浦崎から戦後、山川、豊原、石川の一部が分区する。「琉球国高究帳」に浦崎村、『琉球国由来記』(1713年)には浦崎村とあり、中森(ウタキ)、浦崎巫火神、神アシアゲがある。祭祀は浦崎巫の管轄である。浦崎そのものは古琉球からの村である。現在は大原、島之上原、サク原、大里原、浦崎原、後川原、泊原からなる。
浦崎から山川、豊原、石川が昭和16年に分区している。桃原(トーバル)と呼ばれる地域は明治12年頃、寄留人で形成されたヤードゥイ集落である。
昭和16年に浜元と浦崎の一部で山川、浦崎と謝花の一部で豊原、浦崎と謝花と備瀬の一部で石川、具志堅と謝花の一部で北里が分区する。士族の系譜(特に久米系)が寄留してきて、居住地に同化せず、旧地の習慣や言葉を堅持しつづけ、また断髪をせず、子弟を学校に登校させず漢学を学ばせたりした。それで桃原頑固(トーバルガンクー)と呼ばれる。分区した石川の命名は、水のない、石だらけの土地で不毛だが、石も水に浸すと滑らかになる。石の多い土地だが、水の恵みを待ち望む人々の願いがあっての名称のようである。
集落の山手の方に神アサギがあり、すぐ近くにノロドゥンチ跡とウドゥンがあり、近くにニーヤーがある。山手にウガン、クミザガー、クミザガーなどがあり、山手からの移動集落か。
▲浦崎の旧公民館(1985年頃) ▲浦崎地区公民館(2013.12)
▲浦崎の神アサギ ▲ヌルヤーとウドゥン
▲ニーヤー跡(左)