国頭村宇嘉
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・屋敷内に神アサギ
【宇嘉―与那ノロ管轄のムラ】
(2005年12月26日)
国頭村内の与那ノロ管轄の謝敷・佐手・辺野喜のムラを中心にゆく。前回立ち寄らなかった国頭村鏡地もゆく。与那や宇嘉のムラの事情を十分把握せずの調査である。「どこからですか?」「今帰仁からです」と答えると二つのムラの人達は、非常に親近感をもって話してくれる。不思議に思いながら帰ってきた。調べてみると、二つのムラとも北山系という伝承を持っている。そのことが親近感をもって接してくれたにちがいないと、一人納得してしまった。初めて足を運ぶ場所もあり、どきっとさせられる場面が何ヵ所もある。
国頭村宇嘉(ノロ管轄は?)
『琉球国由来記』(1713年)に宇嘉村が登場しない。まだ説明がつかないが、辺土名村の神アシアゲの祭祀のところで宇嘉掟が出てくる。それはノロ管轄や宇良のある村の位置から宇嘉掟は宇良掟の誤りと見た方がよさそうである。『沖縄島諸祭神祝女類別表』(明治17年頃)には「宇嘉村 神アシアゲ 勢頭神殿内」とあるので、村の存立は明治以前からあったことは間違いない。もっと古くは『絵図郷村帳』(国頭間切おか村)や『琉球国旧記』(1731年)に宇嘉邑と出てくるので村として、すでにあったことになる。
与那ナロや辺戸ノロの管轄にない宇嘉村。何を意味しているのか?ノロ管轄に入らない村、他にそのような村があるだろうか。公義ノロを持たない村、それは宇嘉村の歴史と関わっているに違いない。
『琉球国由来記』に宇嘉村が登場しないことと結びつけているようである。「三百年前北山系の流れた定着」したとういう伝承を持ち、そのときに村を創設したと見ている。村は17世紀の中頃に「おか村」と出てくるので別の理由とみた方がよさそうである。ノロ管轄の村の割り振り後に創設されたムラなのか。少し立ち止まって、資料を踏まえて考える必要がありそうだ。
宇嘉の神アサギはウフヤ(大城家)の屋敷内にあり、ムラの火神も同家の屋敷内にある。神アサギ内の香炉はテンバナヤマに向けてある。宇嘉の集落は移動伝承を持ち、集落後方の杜(テーバナヤマ・テンガー)から降りてきたという。正月にはテンバナヤマにあるテンガー(天湧泉)から若水や産水を汲むという。
集落からテンバナヤマへいく道があったが、祠の近くまで車が行くようになったので、その道は使われてていない。「この道はかつては国道58号線だよ」と話す。御嶽やカーだけでなく、宇嘉の人達が農地へ往き来する道筋でもあった。畑地のほとんどが御嶽(杜)周辺にあり斜面を使った段々畑であった。テンガーから流れ出る水を引いた棚田があったという。今では僅かな水量である。
▲ウフヤーの屋敷内にある神アサギ ▲後方の杜がテンバナヤマ(御嶽か)
▲テンバナヤマ内にある祠(イベか) ▲祠の近くにあるテンガー