各地の遠見番所
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・古宇利島の遠見番所
・古宇利島の遠見番所
(2005年10月1日)
古宇利島の標高107mのところにある「遠見番所」周辺が今年度整備される。整備のため周辺見通しがきくようになっているというので、古宇利区長の案内で訪ねてみた。現在のうるま市(与那城上原)にある「川田崎針崎丑寅間」(下の画像:沖縄県歴史の道調査報告書X)と彫られた石碑が報告されている。古宇利島の遠見所付近で、同様な石碑が見つかるのではないかと期待しているのだが(石に文字が彫られた石があったとか)。
『沖縄旧慣地方制度』(明治26年)の今帰仁間切に地頭代以下の間切役人が記されている。その中に6名の「遠見番」がいる。任期は無期、俸給は米三斗、金五円七十六銭とある。一人当たり米0.5斗、金九十六銭づつである。今帰仁間切に6名の遠見番を配置している。
北大嶺原(本部町具志堅)のピータティファーイは本部間切の管轄のようだ。本部間切の遠見番は12名である。具志堅の他に瀬底島にも遠見番があるので12名は二ヶ所の人員であろう。
宮城真治は古宇利島の「火立て屋」について「古宇利の人より番人は六人、功によって筑登之より親雲上の位まで授けられる。終身職で頭(地割?)を免ぜられる」と記してある。
『元禄国絵図』(1702年?)の古宇利島に「異国船遠見番所」と記載されている。遠見番所の設置は1644年に遡る。烽火をあげて首里王府への通報網である。沖縄本島では御冠船や帰唐船の場合、一隻時は一炬、二隻時は二炬、その他の異国船の場合は三炬が焚かれたという。先島は沖縄本島とは異なるようだ。
▲古宇利島の「遠見番所」跡 ▲「遠見番所」跡の遠景
▲島から北大嶺原の遠見番所跡をみる ▲古宇利島の「遠見番所」跡
▲米軍が設置した指標の一部か? ▲現うるま市(与那城上原)の遠見番所の碑?