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・渡喜仁の議事録
[渡喜仁の議事録](2003年2月19日 メモ)
雨模様の天気。渡喜仁の昭和42年から昭和53年までの「議事録」を起こしている。私が東京で生活していた頃のことである。復帰以前、復帰後の沖縄を議事録を通してムラの動きを追ってみるのもいい。
その頃、今帰仁では売店や道路改修、電気が一般家庭に点灯開始、物価上昇につき百ドルアップ、学校体育館の建設の寄付金などについて、区の議事として話し合われている。
今帰仁村の渡喜仁では、家庭に電気がつくようになったのは1969年7月1日である。当日、日付の議事録に「字民喜びに湧く、記念すべき日である」と。議事録の年号の記載が西暦から昭和の年号に、ドルから円になっている。昭和48年は祖国復帰と言われる沖縄の世代わりであった。「議事録」の記載の中に沖縄全体の動きが読み取れる。しかし、ノホンとしていると、「字誌」の出来事として記事を見逃してしまいそうである。
歴文にとって貴重な出来事でもムラ・シマ(字)にとって、あるいは人によってはどうでもいい場合もある。「字誌」の場合は、過去の出来事や記録を整理していく作業が多いが、その拾捨選択は「次の次の世代に何を記録として残していけばいいのか。そして、伝えていくか。次の世代への贈り物」としての記録集でありたいと常々考えている。と、同時にムラの方々にとって読みやすさ、誇りも大事である。
渡喜仁の「議事録」は戦後の渡喜仁の動きの柱となる記録である。それを、どう読みやすく編集していくか。ムラの先輩方から、いくつも知恵を授かっているところ。ありがたいもんです。研究者のアドバイスもありがたい。字誌は自分達の手で、自分達が学びながらつくっていくもの。編集のお手伝いじゃ(早く手放したいもんです)。