大宜味村田港
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・大宜味村田港
【田港村は田港間切創設時の同村である】
1673年に国頭間切と羽地間切を分割して創設された間切である。間切創設当初は田港間切、1713年の頃には大宜味間切となっている。間切名の改称がいつなのか、明確な史料の確認はまだだが、17世紀末と見られる。その頃(康煕34年:1695)に国頭間切と久志間切との境界線の変更(方切)が行われている。その時、田港間切の田港村にあった番所を大宜味村に移動し、間切名を大宜味間切と改称した可能性がある。番所があった田港村のウタキに20余の香炉が置かれているのは番所があったことを示しているのかもしれない。香炉が置かれた(奉寄進)年代は1800年代以降。大宜味村のウタキに10数基の香炉が置かれているのも番所が置かれていたことに起因しているのであろう。ただ、塩屋にも番所が置かれていたので、同様の数の香炉がウタキにあるかもしれない(未確認)。
大宜味間切の番所は田港村→大宜味村→塩屋→大宜味(大兼久:昭和5年分離:現在)
【タキガー(滝川)】(寺屋敷)(「沖縄県国頭郡志」「大宜味村史」)
滝川のほとりに寺屋敷と称する所あり。260年前定水和尚が居た所の跡だと伝えられている。定水和尚は(土地の人はダチ坊主と呼ぶ)首里新城家の祖先で王府に仕えて重職にあった人で寛文5年(1665年)国王尚質王重臣を集めて尚真王以来派遣していた北山監守を撤廃せん事を諮る。時定水は北山の地が僻遠にしてまだ教化が普及しないから撤廃は早いとなし意見の不一致となる。王嚇と怒り曰く「汝何の故を以てか尚早しとなす。予不徳にして感化未だ国頭に及ばざるの謂んるか。と詰責され定水答ふる能はず、官職を辞し仏門に入り剃髪して定水と号し閑静なる塩屋湾の東隅に退隠して悠々余生を送る。
後定水は剛直なる民本主義の政治家で彼の在職の際八重山に於ける人頭税の荷酷なる事を説き、其の廃止論を唱え、又親々が往昔その領地を異にして食封を受けている者あるを本法とし、其の一を王府へ返納させしむべきことを提議する等の剛直無欲の人だった。彼は日本思想家で数回北京に赴き、彼地にて和歌を詠めるもの多しと、
新城家口碑に
定水はその後法用ありて上首せしことあり。時に国王自ら前非を悔い、度々仕官せんことを
勧め給いしが固く辞して受けず直ちに大宜味に帰りば家族流涕止まざりきという。
定水は死後首里の弁が岳の下にある拝領の墓に葬られ、其の祭祀料として百ガネーの土地を賜はり、此の地は今位牌を安置してある蓮華院(万松院)の有する所となっている。また塩屋小字の大川に塩屋山川なる旧家があるが此の敷地は同家の先祖がダチ坊に親しく仕えそのよしみで現在の敷地を定めて呉れたとの伝説がある。
【琉球国由来記】(1713年)での祭祀
・底森 神名:イベナヌシ 田湊村
・ヨリアゲ嶽 神名:オブツ大ツカサ 塩屋村
・田湊巫火神 屋古前田村 (按司からの提供物あり)
・屋古・前田村での祭祀
・百人御物参/稲二祭/束取折目/柴指/ミヤ種子/芋ナイ折目/三日崇
稲穂祭/稲穂大祭/束取折目/海神折目/柴指/芋折目
・城村・喜如嘉村(按司・惣地頭からの提供物あり)
【沖縄島諸祭神祝女類別表】(
明治17年頃)
田港村 本ノロ一人 若ノロ一人(塩屋)
田港村神アシヤゲ/屋古前田村神アシヤゲ/塩屋村神アシヤゲ/根路銘村神アシヤゲ
▲田港の神アサギ ▲屋古の神アサギ ▲塩屋の神アサギ
【塩屋湾岸を謡ったウタ】
・宵も暁もなれしおもかげ 立たん日やないさめ塩屋の煙(干瀬節)
・肝いさみいさで二人うちつれて 大宜味番所なまど着ちやる(亀甲節)
・恋し屋古田港しなさけはかけて いきやし塩屋港渡といちゆが(国頭親方)
【脚本花売縁大浦節】
・まこと名に立ちゆる塩屋の番所、なかやまやくしやて港みめに
・沖の綱舟エイヤエイヤと浜に寄せ来るは、道急ぐ人もよどで聞ちゆさ だんじゅ首里那覇も
音にとよむ
・まこと名に負ふ塩屋港、出船入船絶間なく浦々諸舟の舟子共 苫(トマ)を敷寝の肘枕
・哀れに歌う節々を 聞くにつけても袖ぬるる山の端出づる月影に 海人の釣舟こぎ烈れて
沖の方にぞ出でゝ行く(センスル節)
▲塩炊きの祠 ▲塩炊きに使った焼け石
【塩屋湾】
渡野喜屋(白浜)の岸より渡し舟に乗って塩屋の浜に着く。この間を塩屋湾という。深碧藍のごとき潮水遠く湾入して平良港との間一地峡を抱し、前面には宮城島横はりて朝夕炊煙の立ち上るを眺むべく、後方は翠黛を粧へる中山を負い、山水の雅趣宛然一幅の油絵に似たり。
以前大宜味番所は此の風景絶佳なる塩屋湾頭に位して眺望を恣にせしが西部に偏せるの故以て大宜味に移転した。
▲塩屋番所があった場所(現小学校) ▲塩屋湾(シナバ浜)
【田港ノロドゥンチ】
▲田港ノロドゥンチ ▲ノロドゥンチの内部 ▲隣にあるヌルガー
【根謝銘と根謝銘屋】
▲根謝銘(ニジャミ)(草分けの家)
▲根謝銘ヤ(ニジャミヤ) ▲根謝銘ヤの内部
▲兼久浜から眺望できる古宇利島