東村平良
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【平良】
(2005年12月8日)
東村の集落の形態は、もっとも山原らしさを失いつつあるのではないか。そのことが、また現在の東村を特徴づけているように思えてならない。沖縄本島北部の西海岸にある塩屋湾と東海岸を交通の要所となるのが平良である。分村当初(昭和12年)川田に置かれた役所は、昭和21年に平良の集落内に置かれた。役所は近年集落の東側に移動している。
東村平良に村役所があり、村の行政の中心となっている。『琉球国高究帳』に名護間切平良村とあり、名護間切の村の一つであった。1673年に久志間切が創設されると平良村は久志間切の村となる。その後、1713年の『琉球国由来記』では川田村と平良村は大宜味間切の村となっている。大宜味間切の創設も1673年である。平良村は間切創設当時は久志間切の内、1695年に大宜味間切の村となる。しかし1719年に再び久志間切の村となる。大正12年に久志村から分離し東村の字となる。
平良ノロは平良と川田を管轄する。平良と川田は中北山の系統だという。
▲ウィバールからみた平良の集落 ▲平良の海岸
▲根神屋(ニガミヤー) ▲ヌルドゥンチ