シヌグ・海神祭 トップ(もくじ)ヘ
祭祀を見ていく場合、まずは祭祀の流れで、各場所での祈りと所作をみていく必要があると考えている。祭祀の名称は、所作全体からすると、その一部である。一つの祭祀にいくつもの所作があるとみていい。複数の所作の一つが、その祭祀の名称になっている場合が多い。それで、一年間通しての祭祀の数多くの所作から、このムラでの祭祀では、数多くある所作から、そのいくつかを行っている。他のムラと共通するもの、あるいは他に行事に含まれているものなど。それぞれのムラで祭祀の形は必ずしも同じではない。
ここではシヌグ(シニグ)について見ていくことにする。シヌグ(シニグ)は、「凌ぐ」を意味する場面だとみる。伊平屋の田名では海神祭とシヌグは別の祭祀である。
『絵図郷村帳』と『琉球国高究帳』には恵平屋島(伊平屋島)の村は、のほ(野保)村、島尻(同)村、だな(田那)村、かぎや(かきや:我喜屋)村の四つの行政村が登場。田名の祭祀をみると、行政村となる以前のムラが祭祀に反映している。また、ヒヤー(比屋:本島の根人・男神役)の役割も注目する必要がある。沖縄本島の海神祭、あるいはシヌグに二つの祭祀の所作が含まれている可能性がある。国頭村では今年はシニグ、来年はウンジャミグヮーと交互に行っているのは、『琉球国由来記』(1713年)の編集は、数多くある祭祀を首里王府は整理したのではないか。
【名護グスクの海神祭】(『琉球の研究』加藤三吾著:大正5年)
名護のナングスクではウンジャミ祭ということをやる。これは海神祭の義で、毎年旧暦七月亥日に行われるのであるが、近村の神職等はオガン森に集まり、餅と神酒とを神前に供え海の物を山の神に捧げ、山の物を海の神に奉り、一人の神職は凉傘という大傘を持ち他の神職等は縄を大きく輪にし此傘に結びつけ、これを舟に擬して皆々其の輪の中に入り、棹をさすまねをするものであり、丸木弓の弭に月日の小旗を附けて踊るものあり、弓の弦を打ち振って魚釣の態をなすものがあり、オガン森から次第に下って海岸にねり行き、鼠を籠に入れて深く水汀の沙中に埋める式をやる。
これは昔時に野猪を埋めたのであるが、今は鼠を以て野猪に代えたのである。それから多数群がって小舟を持ち上げ持下ろしながら神歌を合唱することもあり、手を挙げ足を踏み鳴らして海上に向かい一斉にオンコイと叫び続けて恰も高貴の人の舟出を見送る状をなすこともあり、終には海岸を引き上げてオンガンに帰り多人数双方に立別れて丸木弓を扱い、クバという棕梠に似た木の葉を振りかざし、互に戦闘の真似などをして散会するのが例である。
【シヌグ祭】(伊平屋)『続南方文化の探求』河村只雄著(昭和17年版)
伊平屋方面では「シヌグ」は「凌ぐ」を意味するもので子供がよく「凌いで」丈夫に大きくなったという一種の健康祝いであって、シヌグ野原(モー)で子供を中心にたのしく遊ぶお祭りとなっている。シヌグ・海神(ウンザミ)といつも並べて言われており、シヌグは海祭にひきつづき旧七月の中旬、いわゆるお盆の期節に行われている。
併しながら、中頭の離島ではシヌグは全く海祭と同一になり、而かもそれは秘密行事的神事としての形態をもって行われている。シヌグの時は昔は海岸に見張りを立てて外来者は一歩も島に入れなかったということである。男は浜で見張をし、女はシヌグ野原(毛:モー)で厳かな神事をしたという。
(略)昔アマミキヨ族が国頭地方での戦いに敗れて、この島にのがれたという。そのときアマミキヨ族の勇者が浜で防戦につとめ神人はシヌグ洞にかくれてひたすら神様の御助けを祈ったが不思議なる哉、大嵐が起こって敵軍は惨々にみだれ、あやうくも難を凌ぐことが出来たという。今日のシヌグ祭はそのありし日を記念するためのお祭りだと言われている。
【伊平屋田名の海神祭】(宮城真治著 昭和2年調査)
田名の海神祭(旧7月16日)(1日目)
・午後九時頃アシャギ庭に男女の神職が集まる。
・ワイ(長餅)の分配
・各戸より、サニン葉包みの八寸の長餅を一斤宛献上。これをワイという。
・ワイ(長餅)をアシャギ庭の仮家の中に飾る。
・仮の陰屋の中に飾る。
・仮の陰屋の中に杙(くい)を立て縄を引いて舟に擬し、舟は東向き(海神はみな弓を持つ。
舟には弓を置いてから乗る。
・四人の海神が乗る。その外にワチ神より四、五人乗る。
・ユムイが傘で招く(海神を招く?)
・舟に乗る。
・舟に乗っていて「イメーヌカーヂ」もしくは「ギッセイ」などのかけ声をなす。
・夜十時頃ウムイを謡う。
・四人の神職は弓を以ってアシャギ庭に出で、字の東、海の近くにあるクンジャガーで顔や手足を洗う。
それより字の周囲を七度巡る。弓を杖について行く(その時は二度巡る)。
・最終の時、ダナヌ屋がその殿の前で御迎えをする。海神は八巻をとってダナヌ比屋の殿で休む。
・それより海神は二人宛、二方に分かれる(組合せ及び受持つ方向は一定せず)。字を東部・西部に
分かちて各戸を巡る。
・各戸を巡る時はナレクが御供をする(ナレク=ナルコ・テルコ)。
(ナレクというのは、字の女子の九歳のものより、のろがサーを当てて任命す。その勤めは
三年間である。ナレクは各組に三人、都合六人である。ナレクは髪を後ろに垂れて、御下げ
の様に根元を結ぶ。白胴衣を着ける)
・ナレクは各家の門で「ヘーヘー、イキガニンジュ、カサギンチュ、フカンカイ、イジュンソウリ」と調子
よく唱える。男子と妊婦は屋敷外に出る。
・庭にはオームーチー(長餅)二つとオーザキ(酒)一合、庭に出しておく。海神がとって、長餅をナレ
クに渡す。女主人と酌をなす。オー(藘の杖)を家の中にいれる。女主人はそれを竈の後ろに飾る。
斯して、暁までに字内の各戸は二組によって巡られる。
・暁、各自の家に帰る。
田名の海神祭(旧7月17日)(2日目)
・朝八時頃、二十人の女神は白衣をつけ、クンジャガーで顔、手足を洗う。田名屋(田名の比屋の殿)
に集まる。
・ユニシンサーは「マー、ハナシチケー、ウカザイシヘヘリヨーイ」(馬の鼻崎に用意せよ)と謡う。馬は
各神職のマガラから出している。クチヒチも各マガラより□□が出ている。
・朝九時頃、大シドゥの馬は黒色(オーギー)馬と定まっている。
・出かける順序は、伊平屋のろ(俗に田名のろともいう)
はみし→なでしぬ→あさとぅぬる→てぃんぬる
の順序に全部で二十人の神職が馬に乗る。
・ハナサチ(鼻崎)は字の東の崎で、東に向かって手招きをする(海神を送る意か。手招きをするの
はイナトンチビではないか?
・イナトゥチビに馬で行き、馬より下りてナリクよりオーをとり、オーを持ってウムイを謡う。
・オー(あし)を海に捨てて帰る。
・そこからアサギに集まる。アサギの前に座する。
・むかし(昭和2年より)は字の掟やその他の当局がテルクグチを謡っていた。今は字の区長や世話役が
謡う。一人は鼓を打って音頭をとり、二人のものはそれを繰りかえして唱う。
・神人にはウンサク、酒、肴を供す。ダナヌ比屋殿内にてする。神人は殿に座す。
・ユンシンサー殿内にてなす。田名ノロドゥンチにてなす。
・田名殿内(脇地頭火神所)にてなす。神人はそこまで同行、そこにて神人は解散。
・青年が九組に別れてテルクグチ(ナルコ、テルコのくち)をなす。青年に酒肴を供す。
・村の中央、上ヌハンタにて手踊りをなす。
旧7月18日 シヌグの準備(田名)(宮城真治ノートより)
・旧暦7月18日 シヌグの準備
・字内を19組に分け、各組の頭を地がしらという。各地がしらがその組の各戸より神酒四合5勺宛
徴収して田名屋(比屋の内)集める。これにて口がみの神酒を造る。
・娘17、8才のもの(美しく清潔のものより選定)四人を選定し、白米二升をかませる。これをアーレーという。
・ほかに一斗一升四合は臼に割り、粥にてきて冷やす。クサホという。
・クサホにアーレーを入れておくと、午後四時頃に入れると明晩には飲める。
・醗酵すると臼にひいて神酒にするのである。
旧7月19日 シヌグ(田名)
・字内19組からそれぞれ一人宛青年が出て祭にたずさはる。これをトーガミという。
・元は9年宛勤続させた後、三年づつ務めた。今(昭和2年)は一年宛で交代する。
・トーガミは胴衣、袴をつけ、白サージをなし、棒や弓を持つ。
・午後、東西二組に分かれる。東組はクシ嶽の御前に、ぬる、はみし、だなぬ比屋も共にいく。
・西組はクシ嶽のチナヌウチヌ御前に、ナデシヌ、アサトヌル、ユヌシンヒヤ、区長と共に言う
(海神は関係せず)。
・東西二組共、各御嶽を掃除する。
・シバ木の枝を折って持つ。東組はニシナヂャリ、トーガメーイと呼ぶ。それを三度繰り返して呼び合う。
・ヒヤと掛声して共に立つ。ヒヤ、ヒヤーと物を追う様をして村に下る。
・東組は字の東、西組は字の西を通る。
・道の辻に来ては東はイリヌウフグロイ、弓ムチャイイモリ、ヤイムチャイイモリと云って、道の辻で
此所彼所、叩いたりする。
・西組はアガリヌ大グロイ、弓ムチャイイモリ、ヤイムチャイイモリと云う。
・トーガミは字の南方の入口なるウジャナ森(今はナシ)に集まる。神職もそこに待っている。
・トーガミは東西合併して、前泊なるヌーガミの嶽(マヂャヌ御嶽ともいう)にいく。
・トーガミがその所に出発して見えなくなると、ウヂャナ森の神職は、女は手を合わせ、男はウニヘー
をする。
・ヌーガミ御嶽に行っては、東西各組は東のシヌグ松、西のシヌグ松のところにシバ木の枝を置く。
・アガリナヂャリ、トオガメーイ、イリナヂャリ、トーガメーイと呼んで連れ立ってくる。
・字のシヌグナーに南北に分かれて集まる。
・南ナザリー、トーガメーイ、ニシナザリ、トーガメーイと呼び合い合併して座す。
・男神もシヌグナーに集まっている。
・昨年のシヌグ以後、男子生まれた内より、一升五合の赤豆入りの強飯を出す。
・ユヌシンヒャー、ダナヌヒャー、区長三人が並ぶ。
・父親が子供を連れてユヌシンサーに子を抱かす。
・ドーカンジューク、ウタシキテウタビンショウレと云って、箸にてカシチーを三度食す。
・子供の口にも少し入れてやる。
・トーガメにウサンデーさせる。
・女神は、ダナヌ殿内(ダナ屋)に集まる。田名ぬ比屋より七合かしちー出す。
・女神四人にて食す。
・午後十時頃、サーシムイがある。それをするのをサーシムイサーという。
・特に字内の男子中より選んで任ずる。三人である。
・サーシムイとは、ダナヌ比屋、ユヌシンサー、区長に神酒を上げる儀式である。
・その時、、サーシウムイというを謡う。
(サーシウムイ)(唄は略)