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ノロ家には簪(カンザシ)のほかに地方役人に関わる文書のある家である。戦前、ノロ(家?)はハワイに引っ越していったとのこと。勢理客ノロ家の家文書はハワイ(故湧川清栄氏)から故比嘉春潮氏経由で琉球大学図書館(比嘉春潮文庫)にはいている。比嘉春潮氏経由で地元出身である故島袋源七氏が一部再写本されている(琉球大学図書館島袋源七文庫)。
簪そのものについて述べるすべは持っていないので、島袋源七氏が書き写された『諸事日記 勢理客村大城にや』(大清嘉慶拾壱年丙寅正月吉日)から、ノロに関わる部分について拾いあげてみた。島袋源七氏は『諸事日記』を写され勢理客ノロ家に奉献されている。島袋源七氏は「奉献 嶋せんこあけしの祝女こもり御霊前 昭和廿年八月十二日 嶋袋源七」と書き記してある。
『諸事日記』には「一 元祖行成之次第 一 方々御拝所 一 井川水撫所 一 諸事日記」 とあるが、納められている文書のタイトルと必ずしも一致していない(ノロと関わる部分のみ抜粋)。
「御霊前写」
嶌スンコノロクモイノ夫
一 雪松玄栄禅定門 康煕元年壬寅十一月初五日
嶌スンコノロクモイ
一 神梅妙英禅定尼 康煕六年丁未十二月十八日
嶌スンコノロクモイ女子
一 雪岩妙白禅定尼 康煕十三年甲寅十二月初八日
「元祖日記」
乾隆二十二年丁丑五月二十日去
一 神嶋せんこのろくもひ終吊済 蒲戸
勢理客ノロは「おもろさうし」で「せりかくのろの あけしののろの ・・・・ うむてんつけて こみなとつけて」と謡われ、古くからよく知られたノロである。勢理客ノロの管轄村は勢理客、上運天、運天で、後に湧川まで管轄するようになる。二本の簪は二度焼けたという。一度はノロの継承争いで衣装なども焼き払い、それと大戦で家が焼かれたという。ただ、簪の状況から見ると直接火にかかり、熔けたような痕跡は見られないので蒸される程度だったのかもしれない。
『諸事日記』に記された嶌スンコノロクモイ(勢理客ノロの別称)の一番古いのは康煕元(1662)年である。勢理客ノロは1662年以前から継承されてきたと見られるが、山原では『諸事日記』にある年号(康煕・雍正)あたりから墓室の厨子甕に銘が記され、あるいは位牌が設けられる(間切役を含む平民層)。今帰仁間切の中城ノロ家には万暦のノロ辞令書をはじめ、ノロ家の役人に嘉靖、万暦の古琉球の辞令書(4点)発給されているので、勢理客ノロ家も古琉球まで遡ることができるにちがいない。

▲竿のある勢理客ノロの簪の模様(85グラム)

▲竿のない勢理客ノロの簪(45グラム)

▲今帰仁村勢理客の勢理客ノロ家での調査の様子



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