2009年11月と2009年5月13日(水)に崎山と仲尾次についてまとめたことがある。近々、崎山のジニンサウタキを踏査することになっている。これまで、疑問とすることがいくつかあり、その糸口でもみつかればと考えている。9年前にまとめたものであり、ここでもう一度整理しなおすことに。
その地域には、上間村が登場し、どのような位置づけになるのか、すべきか疑問であった。上間村を下図のような想定図を描いていた。これまで崎山村と上間村との関係で見ていたので、山手に上間、中間部に中城、海岸部に崎山(下間)と想定した図を描いていた。上間は崎山(下間)と統合したと考えていた。ところが、「事々抜書」の今帰仁間切の最後に「中城と上間仲尾次二ヶ村之事」とある。すると上間村は仲尾次村に組み込まれたことになる。その上間村は1736年には仲尾次に組み込まれた村ということになる。その資料を踏まえて整理することに。それでも解決できないことがあるが。
崎 山(今帰仁村)(2009年(平成21)・11月)