恩納村恩納 トップヘ
・恩納村恩納(ムラ・シマ講座)
「山原のムラ・シマ講座」 (平成23年10月8日開催)
「ムラ・シマ講座」は恩納村恩納です。恩納間切(今の村)は1763年に金武間切の西海岸と読谷山間切の北部の村を分割して創設された間切です。北部(北山)と中部(中山)の村を統合した恩納間切、そして創設された間切の番所は恩納村に置かれます。
また、ペリー一行が恩納間切の番所を訪れスケッチをしています。当時の恩納間切番所の様子が伺えます。また、以下の場所に立ち止り、恩納間切の中心となった恩納村(ムラ)で歴史・文化に触れることにします。恩納間切の恩納村(ムラ)、そこでどんな歴史が展開されたのか。恩納(ウンナ)の意味は?
・恩納村の位置図
・恩納村のムラ・シマ(金武間切から)
・恩納村のムラ・シマ(読谷山間切から)
・海からみた恩納のムラ・シマ
・恩納村恩納(同村)
・恩納の集落移動
・金武間切の頃の恩納のろ
・現集落と二人の掟
・神アサギと殿(トゥン)を持つ地域
・恩納ムラ内の旧宿道と新宿道
・徐葆光と王文治の扁額
・尚敬王・蔡温の北山巡行
・恩納ナビーの琉歌(恩納岳)
・ペリー一行が遺した恩納間切番所(公舘)
・昭和9年の恩納での献穀田御田植式
・恩納間切番所付近の様子
・恩納ノロドゥンチ
・恩納の神アサギ(茅葺き)
・カンジャガー
・恩納ナビーの歌碑(昭和4年建立)

▲恩納グスク内の殿(ヤウノ嶽) ▲浜崎嶽(東の御嶽) ▲浜崎嶽内のカネクノ殿
