国頭村奥間
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【国頭村奥間】
(2005年12月21日)
国頭村奥間は国頭間切番所があったこともあり、金剛山(二基の碑)、土帝君、鍛冶屋跡などがある。集落の後方にある森は奥間グスク(アマングスク)があり、グスクに二つの御殿(フェー(南)ウドゥンとニシ(北)ウドゥン)があり、奥間集落はグスク付近にあったという伝承を持つ。ニシウドゥンのことをアマングスクと呼んでいるようである。両ウドゥン跡に香炉や石燈籠?などがある。
国頭村奥間はカニマンの呼び方もあり、奥間大親が鍛治を行ったことに因むようだ。桃原がカニマングヮーと呼ばれるのは奥間から分かれた集落による。1732年に浜村にあった国頭間切の番所が奥間村(現在の奥間小学校地)に移される。現在の学校敷地にあった神アサギが奥間ノロドゥンチの敷地内に移された。奥間ノロは比地村・奥間村を管轄する。ウンジャミの時、比地→奥間→鏡地の順で祭祀が行われる。
・奥間ターブックヮ(田圃)
・赤丸崎(ヒョウーヌサチ)
・1731年唐商船が赤丸崎に漂着、運天港へ曳航される。
・1732年浜村にあった国頭番所を奥間村に移す。
・1859年徳之島に漂着したイギリス商船の乗組員の小船三艘が奥間沖に漂着。
1876年5月2日奥間船が薪を積んでも本部港へ運び、22日そこから那覇に向かう途中台風に
あい、帆檣を破折して漂流しているところ、横浜からホンコンへ航行中の英国船ゲーリック号に
救助される。9人乗っていたが漂着中3人死亡し、6人救助された。救助されたのは山城筑登
之、安里仁也、比嘉筑登之、加那桃原、武太山城、蒲戸島袋であった(『国頭村史』)。
▲奥間集落入口のカー(昭和2年竣工) ▲奥間集落をみる
▲集落からみた奥間グスク(アマングスク) ▲金剛山の祠内の二つの碑
▲アガリカンジャヤーの祠 ▲祠にある鞴や道具類
▲奥間ノロドゥンチにある神アサギ