国頭村奥



奥の石灯籠と香炉(2006.09.20 メモ)

 国頭村奥のミヤギムイの石灯籠と香炉について、以前触れたような気がする。各地の年号のある香炉もそうであるが、グスクやウタキなどの拝所にある石灯籠や香炉の寄進は、間切や村と密接に関わる首里王府の役人(按司や惣地頭、脇地頭など)が薩摩や唐などに渡航(旅)したことと関係しているに違いない。奥のミヤギムイにあるような石灯籠は国頭按司や惣地頭クラス、辺土名などの祠にある香炉は脇地頭や在地の役人クラスか。山原各地の石灯籠や香炉などについて、整理してみる必要がありそう(判読困難のが数多くあるが)。



 『国頭村史』(国頭村役場・宮城栄昌、174頁)に、以下のように記してある。
  「奥のミアゲ森小祠には、咸豊九年己未十一月吉日宮城仁屋の銘のある香炉があり、
  祠前には風雨で塔身の削られた灯籠一基がある。ほかに新城仁屋・玉城仁屋の香炉
  もあったとのこと、この二基は現在行方不明である」