今帰仁ノロ墓(2012年12月6日記録) (今帰仁村の墓―事例―)    トップへ

 今帰仁ノロの墓の内部を見る機会があった。夏の台風で今帰仁ノロ墓の石積みが崩壊してしまった。内部を見てほしいとの連絡があり、早速職員を伴ってノロ墓へ。横穴の掘り抜きの墓で、積まれた石は比較的やわらかいものである。正面の墓口は海石(珊瑚石灰岩)で非常に軽い。

 石製厨子甕が三基、御殿型の陶製厨子甕が二基、御殿型の陶製(素焼?)の厨子甕一基、蓋のない無頸(ボージャー)一基の計七基が納められている。向って右側にはイケがあり、そこには厨子甕に入れる以前のノロの遺骨とみられる。つまり、厨子甕に入っているノロの以前のノロの遺骨とみてよさそうである。

 今帰仁ノロ宅(ナキジンヌンドルチ)に立ち寄り、位牌も見せてもらった。ノロ墓の厨子甕に葬られているノロは位牌にあるノロと見られる。(その中の無頸(ボージャー)の甕についてははっきりしない)。

 位牌にあるノロより古い方のノロはイケに置かれているとみてよさそうである。石製(厨子甕)に洗骨して葬る習慣以前の時代のノロの葬り方。今帰仁ノロの位牌の古い方は戒名しか記されていない。山原では1700年代から位牌に銘を書き記すとと厨子甕に洗骨を納める習俗になったと見られる。一般的な墓の事例からも。

【墓地内の厨子甕】

 ①②③④とボージャ(無頸の厨子甕)には銘はなし。但し、③には文字らしきものがあるが判読不能。銘はないが、位牌ののろの1~6代とほぼ一致している(一基のみ不明)。

 ①石製厨子甕(銘なし)
 ②石製厨子甕(銘なし)
 △③石製厨子甕(銘判読できない)(四代ノロクモイか)
 ④御殿型焼き厨子甕(銘なし)
 ⑤に「五代のろくもい 仲尾次タマ 歳四拾壱」、「明治参拾八年正月弐拾弐日死去 
   明治四拾壱年拾壱月弐壱五日洗骨」とある。
 ⑥に「大正十五年寅十月十六日死去 六代乃ろくもい 仲尾次たま 二五才 
     昭和六年旧十二月三日洗骨」とある。
 ⑦無頸の厨子甕(銘なし) 

【位 牌】(〇は墓地ののろくもいと一致)

   〇大正十五年寅十月十五日死去 六代乃ろくもい仲尾次タマ
    ・古岸妙寿信女
    霊 位
    ・寿林妙霊信女
    ・心安妙寿信女
   △四代明治五年丙寅五月二十二日死去 歳三十九
   〇五代乃ろくもい 明治三十八年巳正月二十二日死去 歳四十一

  
   
  
 ▲台風で全面が崩壊したノロ墓      ▲墓の内部を伺う
  
①②墓の向って左側に石製厨子甕  ③正面奥の石製厨子甕

  
 
 ④御殿型の籐製(素焼?)厨子甕  ⑤五代目ののろくもい  ⑥六代目ののろくもい

 
  
▲イケの六名以前のノロの遺骨    ▲無頸(ボージャー)の厨子甕

 
    
▲今帰仁ノロ家の位牌           ▲六名のノロの位牌