山原(やんばる)のムラ・シマ
    
 ―調査・研究のこれまでの道のり―

                                              トップへ


2014年9月21日(日)メモ

 私が今帰仁村に職場を移したのは平成元年(1989)4月です(今帰仁村歴史資料館準備室:村中央公民館の一室)。その年度(翌年2月)に発刊したのが「今帰仁のムラ・シマ」(なきじん研究 1)です。その当時から「ムラ・シマ」を使っています。もう一つは「すくみち」(宿道)でした。今帰仁のムラ・シマでまとめたのは@ムラの表記の変遷 Aムラ・シマの概要 B集落形態 C人口の動態 Dムラ・シマの先人達 E集落移動 F小字 G小地名 H神アサギ Iムラの祭祀など J関係資料の項目でした。平成3年には「ムラ・シマ講座」をスタートさせました。その講座はムラ・シマを踏査する調査です(講座は準備室の頃から歴史文化センターの現在まで23年間続いています)。16期からHPで紹介しています。ときどき「なきじん研究」に収録しています。その広がりは今帰仁村内から山原(やんばる)全域に広がっています。歴史文化センターの動きとしては沖縄本島から、奄美大島(与論から喜界島)、久米島、宮古島、石垣島、与那国島などにも及んでいます。その間の積み重ねは膨大なものがあります。もうしばらく続くでしょうか。

 「今帰仁村歴史文化センター(過去の動き)」や「沖縄の地域研究」などの底を流れているのは、ムラ・シマの全体像があって歴史や村名の変遷や地名、ムラの祭祀などは、ムラ・シマを構成している一部だと位置付けています。「ムラやシマを構成する様々な要素がある。ムラやシマを構成する様々の要素をとりあげ、そこからそれぞれのムラやシマの特徴をみだしていく作業が大切である」と。また「項目を増やし、調査・研究を進め、その成果を村民をはじめ関わったムラ・シマの方々と共に共有できればと願っています。調査・研究の成果を公にしていく、その積み重ねが歴史文化がより身近なものにしていき、自分たちがムラ・シマの歴史や文化を担っているのだと自負でき誇りが持てるようようになれば最大の喜びです」との言葉で結んであります。

 その前の1989年の12月に「なきじんのムラ・シマ」の準備室の最初の企画展を開催しています。コミュニテーサンターのホールを借り切っての大がかりな展示会でした。すでにムラ・シマを掲げ延々と調査研究が続けて行ける見通しがあったように思います。それが「ムラ・シマ講座」であり、「すくみち」33号までの調査報告(なきじん研究 2・4・6・8に収録)です。まだ原稿は手書きやワープロの頃です。「すくみち」の後ろに日々の調査日誌があり、それがHPの「動き」や「調査記録」などへとつながっています」。

 私が「ムラ・シマ」を歴史のテーマにあげたのには、昭和62年に発行した『じゃな誌』(今帰仁村謝名)に原点があります。並行した形で関わっていたのが角川沖縄地名辞典の羽地地域、と名護市史編さん室の『わがまち・わがむら』があります。「やんばるのムラ・シマ」はそれらに育てられたようなものです。

 これまで、数多くの発見や資料の収集や写真の提供(なきじん研究11号に収録:写真に見る今帰仁)などへと展開していきます。

      (再度、これまでの調査研究の流れふりかえってみることに)(工事中)