東村宮城                              トップへ



【東村宮城】(2005年12月13日)

 宮城は大鼓村であった。1736年に創設された村のようで、国頭間切安波村と久志間切川田村の間に村がなく、その間7里に及び不便なので大鼓村を創設した(『球陽』)。現在の宮城に落ち着くまで何度か移転している。

 宮城の本集落は小規模である。そこに神アサギやウフガー、オミヤ(ニガミヤーともいう)がある。オミヤのある後方の森はムイという。祭祀は平良ノロの管轄のようである。ノロは当初川田から出ていたが、近世期には平良村からでるようになり現在に至っているとの認識がある。本祝女(フンヌル:サチヌユヌル)や祝女(公儀ノロ:コイシヌル)の呼称の区別は、そのことが反映しているようだ。

 オミヤの内部は火神とウタキグサイ(イベ?・中の世の神・村の発祥)が祭られている。中の世の神は仲北山の系統(川田の根謝銘屋の伝承)につないでいるようである。



   ▲宮城のオミヤ(お宮)            ▲オミヤの内部


     ▲宮城の神アサギ            ▲オミヤ入口にあるウフカー