国頭間切踏査(南嶋探験:笹森儀助 明治26年)        トップヘ


 明治26年頃の国頭間切の全体像をみるため、国頭間切に関わる全文に目を通すことに。


【明治の国頭間切】
 
 明治26年6月18日
 午前9時出起、大宜味間切見里村路傍榕樹(榕・ガズマルと訓す。□蜷屈蟠、一木数畝に蔭す)の下に御飯する。
 午后一時三十分、国頭番所奥間村国頭番所に到る。即ち巡査駐在所也。諸般問答、前日と異なる無し。草鞋を脱するに遑あらず。衛廊の縁に小憩し、所主員山口秀一に面晤す。仝氏職務に暗鍛し、話次佳境に入る。密かに告て云う。各村負債は公然たるに係はらす、務めて隠蔽を事とし、敢えて実を告げたる者無し。甚しきは役所に向て、尚ほこれを隠匿す。故に役所なり、番所なり、蓋し其の実を告くる者なし。試みに当番所より其の調えを出さしめよ。必ず世間に顕れたるもののみを書き出す通例也と。地頭代に依り依託して、其の調を得たり。即ち役所に報告せるの謄本なり。左に、国頭役所各村負債調
  番所調
   金  959円63銭3厘       比地村
   仝 1362円53銭8厘       宇良村
   仝  744円32銭8厘      伊地村
   仝  111円81銭3厘      佐手村
   仝  710円63銭1厘      辺野喜村
   仝  268円66銭         宇嘉村
   仝  28円            楚洲村
   仝 110円            安田村
     負債合金 4295円60銭3厘
 右八ヶ村のみ負債を有するなり。其の他は一切なしと云う。然るに右各村の外各駐在所に就て、調査せる処左に、駐在所調
   金  510円 仝間切 奥村負債
   仝  300円 仝間切 奥間村負債
   仝   80円 仝間切 親田村(浜村か)
   仝  400円(番所調には、111円81銭3厘) 仝佐手村負債
   仝  600円     仝(奥間村の内) 桃原村負債
   仝 1600円(番所調には、959円63銭3厘) 仝比地村負債
   仝 1000円(仝、1362円53銭8厘) 仝 宇良村負債
   仝 1700円(仝、744円32銭8厘) 仝伊地村負債
   仝 2000円(仝、710円63銭1厘) 仝辺野喜村負債
  負債合金 9928円

負債調の相違

   (工事中)

 午后三時、奥間村番所を出起す。之より皆層曫重嶺にして、嶮坂を上下する、数十回也。故にこの地方は、駕籠は姑らくこれを措き、牛馬の便さへも無し。必ず徒歩を要する也。置県以来数人の長官あるも、西村県令の外は巡視せし者希なりと云う。高坂・辺野喜坂・座中坂・武見坂・大川坂等あり。中に就き座中坂最も著名の峻坂なり。

 午后4時40分、伊地村尚氏(旧藩王の持)の伊地鉱山事務所に至る。
 当銅山は、去る24年5月借区許可を得、坪数4万4517坪となす。創業より本年5月迄総入費金8116円71銭8厘と云う。
  工夫 一人一日の給金(32銭以下12銭に至る)
    昨年25年6月より12月に至る諸調左に、
  諸入費 金1931円
  鉱業工夫数 2559人
  此出鉱高 15152貫目
  製銅高 3557斤
  此代価 533円55銭
  役員 4名 小使 1名
  売先地は大阪とす。
 上概計は、該事務所より請ひ得たるものとす。
  坑内状況一班レールを以て、鉱石を運搬せり。

 本日は、役所にて与えたる日割二日程を一日に縮め、兼行するを以て、里程は6里に過ぎざるも峻坂の為汗出でて衣服を湿ふし、加之、先導巡査長谷川氏暑さにあたり、吐潟に苦しむ。余猶隋所に取調あるを以て、所持の薬を分け与え、該事務所に托し出起せり。
 午后7時、国頭間切与那村平良吉登方へ投宿す。
 また長谷川氏も病を勤めて8時、投宿に来着せり。


  (工事中)