久志(名護市)
トップへ
【久志】
(山原のムラ・シマ講座)(平成23年11月12日)
東海岸の久志(現名護市)です。久志村(ムラ)は金武間切、久志間切、久志村、そして名護市と変遷を辿っています。久志間切が創設された当時(1673年)、久志村に久志間切番所が置かれます。しかし、10数年後には瀬嵩村に久志番所が移されます。
久志村の前方の海域を山原船が往来していた時代がありました。組踊りの久志の若按司は久志村出身とのことで久志の若按司を祭った祠や墓などが、村の誇りとしています。番所跡は現公民館敷地の一画にあったようです。番所移転直後に建立された「観音像」(久志観音堂)は今でも健在です。観音堂一帯はアタイ原と呼ばれ、久志集落が移転する前の古島と見られます。
そのような歴史を持った久志村内を以下の流れで散策します。
・久志村(ムラ)のレクチャー
・9時40分 歴史文化センター出発(マイクロバスで)
・名護市許田から東海岸へ横断。宜野座村松田から久志小(クシグヮー)へ。
・ウシヌモー(久志川・久志橋付近)
・ワータンジャー(渡地川)(現集落を見る)
・現公民館、体育舘前の広場、久富商店(共同売店)、イェヤーガー
・学校跡地
・久志の神アサギ
・久志ノロ殿内
・久志若按司の祠など
・ミヤギムイ(遥拝所)
・久志観音堂一帯(ハタイ原)・久志の若按司の墓
・ウイヌクムイ・シチャヌクムイ
・ヌルガー/メーダムイ
・ウガミ(ウタキか)
参考文献:わがまち・わがむら(名護市史) 民俗地図(名護市史)など
▲久志橋の向こう側がウシモー跡 ▲戦前のウシモーの様子(忠魂碑があった場所)
▲久志ノロ殿内 ▲久志の神アサギ
▲久志観音堂 ▲久志観音像(石仏)