金武町金武・並里 トップヘ
・金武・並里
【金武町金武・並里】
金武間切の同村である。現在の金武小学校の付近は「御願原」である。一帯に『琉球国由来記』(1713年)の金武村に出てくる「中森 二御前」(神名:タケノコホツカサノ御イベ、ヨンサノツカサ御イベ」と二つのイベが記されている。それが公民館の側のヘーシンバとナカムイと見ていい。御願原一帯はウガンと呼ばれ御嶽になっていたという。二つの香炉が置かれているイベは一つの森にあったとみてよさそうである。
金武村には中森の他にトムツヅイベがあり、それらとは別にキンタガーの後方にも御嶽がある。行政村の金武村には複数の御嶽があるようにマクやマキヨクラスの集落があり、それらをまとめて金武村にしたと見られる。金武と並里が金武村の一行政村になるが、複数の御嶽や現在の金武区と並里区に分かれているが、それは行政村金武村になる以前の様相をひきずっているのではないか。
中森の二つのイビは、金武村が同村であると同時に惣地頭が関わる村であるとことと無縁ではなかろう。イビの数多くの香炉は、金武王子や金武按司などが大和旅、あるいは唐旅をしたときに航海安全祈願で寄進した香炉と見ている。

▲金武区公民館の側にあるヘーシンバ ▲ヘーシンバにある香炉
▲20基余の香炉

▲中森(ナーカムイ) ▲中森のイベにも香炉