金武町金武
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・金武グスク
【金武グスク〜名嘉真】
(2009年3月14日)
少し時間があったので金武グスク跡、喜瀬武原(恩納村・金武町)経由で、恩納村の安富祖に出て名嘉真(仲間)に立ち寄る。喜瀬武原のメンバーがやってくるので、その下見でもある。喜瀬武原は恩納村と金武町とに分かれているようである。喜瀬武原は恩納村と金武町との境に位置していることが、歴史を見ていく視点に示唆を与えてくれる。それと、金武グスク跡近くと名嘉真(仲間)にある琉歌碑に1673年に創設された恩納間切以前の領域が歌いこまれている。東海岸からかつて同間切だった西海岸のムラ・シマを読み、また分割された西海岸から分割される以前の東海岸のムラ・シマを謡っている。歌に詠みこまれた歴史を紐解いていく面白さ。そしてその中間に位置する喜瀬武原。喜瀬武原の歴史については、改めて述べることに。
【金武節】(東海岸から西海岸のムラを読む。意訳は説明文から)
くばや金武くばに(くばは金武で取り)
竹や安富祖竹(竹や安富祖で取り)
やにぃ瀬良垣に(瀬良垣では竹を細く削り)
張りや恩納(恩納では笠を仕上げ)
【仲間節】(西海岸から東海岸のムラを読む)
仲間からかいとて(仲間村もそうであるが)
久志辺野古までも(久志・辺野古までも)
金武の御前がなし(金武王子様の)
おかけ親島(お抱えの領地)
▲金武グスク跡の前に碑が建立(金武町金武) ▲「金武節」の歌碑
▲ウマチモーの説明版(喜瀬武原) ▲喜瀬武原にあるウマチモー
▲仲間節の歌碑(恩納村名嘉真) ▲「仲間節」の歌碑