東村川田
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【東村川田】
(2005年12月11日)
12月1日に訪れた東村川田。川田は東村の字(アザ)の中で深く脳裏に刻まれている。それは『沖縄県国頭郡志』(大正8年発刊)にある記事による。何年か前、国頭郡志に記載されている資料の確認をしておきたいと歩いたことがある。国頭郡志に川田の根謝銘屋について以下のような口碑伝承が掲げてある。
私が関心を持っているのは、仲北山城主の子孫伝承と根謝銘屋に絹地の衣類や古刀および黄金かぶの簪があることである。黄金の簪は旧正にお披露目されるという。火災で焼失したようである。現存するのは代わりの品のようであるが確認してみたい。「黄金のかぶの簪」はノロの簪と同様なものか、それとも異なるのものであろうか。いずれにしろ伝承を伴った貴重な資料である。
(川田は平良ノロの管轄で平良にヌルドゥンチがあり、そこに平良ノロがいる(た)ので
ノロの簪とは性格が異なるのであろう。)
東村の各字について『東村史』(昭和62年)や『沖縄の祭礼』(渡邉欣雄:昭和62年)で詳細に述べられている。
【久志村字川田屋号根謝銘屋】
口碑伝説に依りれば同家の始祖はヒビドキ(ヒゲドケ)と綽名せられ仲今帰仁城主の子孫に
して前記本部村満名上の殿内の次男なるが或事変に際し・・・(略)・
川田は八十戸中十数戸を除きたる外皆同家の裔孫にして根謝銘屋及びその分家なる西の
屋内(イリヌヤ)西の根神屋、東の殿内(東リノ比嘉)、新門(ミージョー)、金細工屋、大川
端(元ニーブ屋)の七煙より分かれたり云々、・・・・以前根謝銘屋には絹地の衣類、古刀及黄
金かぶの簪等の遺物保存せしが火災の為め焼失して今は類似の品を持って之に代へたり。
・・・(略)
上の伝承を持つ根謝銘屋はオミヤ入り口にあり、石垣やガジマルの老木は旧家を彷彿させるのに十分である。オミヤから根謝銘屋の傍を通り海岸までの道筋は、集落形態の軸線となっている。途中、ムラヤー跡や神アサギがあり、海岸へと通じる。歴史が読み取れる出来事やウタキや旧家やカーなどが遺され、語ることのできるムラはいい。
▲根謝銘屋(ニザンヤー)(左側の家) ▲オミヤの入り口(勝乃宮)
▲大穴井戸(ウフアナガー) ▲川田の神アサギ
▲ウガンジュへの道 ▲タカデーラウガンジュの祠