祭祀の「神遊び」は今の公休日なり


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2011年6月18 日(土)

 時々、祭祀の日は神遊びといい、現在の公休日に相当するものであると説く。そのことがピンと来ないようである。それで具体的な事例を示すことにする。各間切によって異なっている。名護間切と本部間切を紹介する。今帰仁村中城のろ管轄の祭祀、五月ウマチー(稲穂祭)は、まさに「神遊」である。その習慣はまだ息づき継承されていることに気づかされる。

 歴史を読み取っていく物差しの一つである。明治以降、あるいは戦後の新しい社会制度も積極的に受け入れていく面と、これまでの習俗(社会規範)を維持して行こうとする面をもった沖縄のムラ・シマ社会である。下に示しているように間切で捉え方の違いが見られる。

【名護間切】
 ・正月は元旦より三日間遊ぶ。その内は童子共、巷々へ集りて遊申候。(3日)
 ・二月は遊はなし。麦の穂祭る事あり(二月ウマチー)。
 ・三月は虫払いというて日を撰、一日人民耕作止、遊申候(一日)。
 ・四月はアブシ払いと云、日を撰二日耕作を止め遊申候(二日)。
 ・五月は稲穂祭りと云い、日を撰二日耕作を止め遊申候(二日)
 ・六月は遊びはなし。稲の大祭りあり。 
 ・七月は十六日、人民耕作を止め遊申候。尤も童子共は饒鼓を用
ひ各家庭を
  廻って遊ぶ事あり。
 ・八月は十日より十一日迄、人民耕作を止め遊申候。且豊年願い
の為毎年組踊
  する村も有之申候。
 ・九月はなし。
 ・十月はたんとり(種取)と云う。日を撰て、二日人民耕作を止
め遊申候(二日)。
 ・十一月はなし。
 ・十二月はなし。

【本部間切】
 ・正月は元日より四日間遊ぶ。その内は童子共巷々に集まりて遊申候。
 ・二月は麦の穂祭と云うものあり。その時は日を撰て、のろくも
いは祭りを
  し、人民は二日間業を止めて各家にて遊ぶ。
 ・三月は、ウンジャメ祭(海神祭)と云うものあり、その時は遊
ぶはなし。
  日を撰て、ノロクモイは火の神所に参詣して祭申候。
 ・四月は虫払いと云うて、日を撰て人民耕作を止め、牛馬を引き
浜辺に出づる。
  その時ノロクモイ勤め済る間は、人民より牛馬に至る迄無食す。その勤めを済
  て後、各家に帰る。
 ・五月は大御願と云うて、ノロクモイ並びに人民烈りて火神所に

   参詣す。且稲の穂祭と云うものあり。その時日を撰て二日間遊ぶ。
 ・六月は三月に同じ。
 ・七月は十六日、七月念仏と云う遊びあり。その時童子共、三味
線を引き
  て人民の家々も廻りて遊び申し候。且大折目と云うも
のもあり。その日
  は凡そ十八、九日頃より廿四、五日頃に限る。

その時人民業を止むる村もあり、止めざる村もあり。尤ノロクモイは火の神所
  へ参詣して祭申候。
 ・八月は十一日ヨウカビと云う遊びあり。その時童子共、巷々又

   は毛へ集って遊び申候。且また、豊年願の為め三・五・七年一回組踊する
  事もあり。
 ・九月には遊びはなし。然れども大御願として、ノロクモイ並び
に人民召し烈り。
  火の神所に参詣す。
 ・十月は遊びはなし。
 ・十一月は遊びはなし。 
 ・十二月は遊びはなし。

 
 五月ウマチーで農作業や仕事を休み参加(神遊び:休息日)


2011年6月16日(木)

 中城ノロ管轄のムラの祭祀を調査する。平成三年頃に調査をしている。その時の記録と写真アルバムがみつからないので、当時のことはおぼろげである。それと崎山のノロ殿内と仲尾次の神ハサギ、それから諸志(諸喜田)での場面は見ている。

 今日は旧暦五月十五日の五月ウマチーである。中城ノロが管轄する崎山・仲尾次・与那嶺・諸喜田(現在は諸志)・兼次の五つのムラを連続させた祭祀であったはず。かつての五つのムラを中城ノロが、どのような形で連続させていたのか。それを復元していくことを目的の一つとしてみた。いくつも目を開かされた調査であった(詳細報告は「中城ノロが関わる祭祀」にゆずる)。

 
 崎山ノロ殿内でのウガン ノロ殿内から遥拝

  
 諸喜田(諸志)ウガミのイビでのウガンウガミのイビでのウガン(諸志・与那嶺の方々)


諸志の神ハサギでのウガン 志慶真神ハサギでのウガン  諸喜田神ハサギでのウガン

兼次のカニマン殿内(神ハサギ跡)  ウタキのイビの前でのウガン  兼次神ハサギでの直会


2011年6月15日(水)

 今帰仁村諸志の祭祀調査にはいているのでその全体像を把握しておくことにする。中城ノロは崎山・仲尾次・与那嶺・諸喜田(諸志)・兼次の五ムラの祭祀を掌っている。五つのムラの全ての祭祀に参加するのではない。中城ノロが五つのムラを廻る祭祀は二つのようである。二つの祭祀(七月のウプユミと八月十日)の時、ノロは正装(神衣装と勾玉・簪)をして馬に乗って廻っていたという。ノロ家の宮城仙三郎氏の日記に以下のようなことが記されている。

 中城ノロの祭祀場を見て行くことは、崎山・中城(仲尾次)・(上間)のかつてのムラの位置やムラの領域をみていく作業である。例えば、崎山ノロドゥンチと呼ばれる祠は、現在崎山の地に位置する。それと中城ムラのウタキは崎山を越えた平敷地内にある。それを整理すると、崎山・仲尾次・上間の三つのムラが短冊状ではなく、海岸から並行にあったのではないか。崎山ノロドゥンチのある場所は、中城ノロが任命された頃(十六世紀後半)は中城ムラの地であった。中城ムラの領域は現在の仲尾次あたりから崎山ノロドゥンチ、そしてスガーウタキ(ナカグスク)に延びていたとみられる。

 そのことは、拝所の位置と上間・中城・崎山(ヒチャマ)の関係が海岸から短冊状ではなく、並行にあったように見られる。それは古琉球の辞令書(戦前まであった中城ノロ家の辞令書)からも伺える。つまり、現在のムラの形(今帰仁間切の短冊状の形)は近世のムラの線引きであり、海岸から並行のムラの形は古琉球のムラを示しているのかもしれない。

【諸志の年中祭祀】(旧暦)(○は今回の調査)
  ・二月十五日 二月ウマチー
  ・三月十三日 ウカタビ
  ・三月十五日 ウチマチ
  ・四月十五日 アブシバレー
  ○五月十三日 ウカタビ
  ○五月十五日 五月ウマチー
   (同日) ウガヌー
  ・六月二三日 ウカタビ
  ・六月二五日 ウンジャナシー
  ・七月後ろの亥の日 ウプユミ
  ・八月吉日 ウカタビ
  ・八月十日 トゥハヌウガン
  ・九月十五日 ウガヌー
  ・十月一日 ピーマチガナシーヌウガン
  ・(新)十二月二四日 プトゥチウガン
    (同日)    ミチグイ 

【中城ノロの御願】(城間系統日記:中城ノロ家)

 一、御正月には崎山殿内に於いて新年の御飾をなし、年中の首尾御願を立てて、
   西南下のギギチ御河まで。「供物は瓶酒御 花米、肉(ウヮジシ)、昔は素麺の
   吸物もありましたが、現在(昭和二五年)は廃止。

 一、五月定期御願として廿九日に定日、御願所は、仲尾次御嶽(スガーウタキ・ナカグスク)・
   南下の御河・クンジャ御河・ギギチ御河・崎山御嶽、それから南七、八町東に下りてグミ
   御河まで。(元諸喜田御殿より御米は出せり)

 一、九月定期御願廿九日定日、ノロ殿内庭前だけ(元志慶真、津波屋より御米は出せり。
   但し両御願共自弁当と瓶酒、御花米 持参の事)

 一、崎山ノロ殿内の新築、建築は兼次より崎山まで部落割当のことを付記して置く。
 一、十二月二十四日は御解御願とて子孫揃ってノロ殿内に集まり
 一年中の立ち御願の首尾を神前に述べること。
 一、八月十五日は毎年望月祭(御重並びに弁当を持参して月望みをなせり。
 一、七月陰暦、後ろ亥の日は大弓の祭。ノロクモイ勤務
 一、八月十日は怪火の祭。ノロクモイ勤務

 右七、八月の其の日はノロクモイ年中行事の最大なる勤めなれば、正装して馬に乗り、下司は馬の手縄 を引張って五ケ部落、神アシアゲを廻ります。 御供の神人も氏神以下崎守も同道します。昔は壮観でしたが、現在は略式で馬上に乗りません(馬の鞍は現存している)。
 一、その他三月内祭(ウチマチ)、六月内祭(ウチマチ)、六月廿五日稲束の御祭(稲穂祭。
   麦の穂祭、五月御祭、二月御祭)大弓八月尾十日を合わせて七々折目と云う。

 今では五つの神ハサギは廻らないが、かつては各神ハサギを廻っている。諸喜田ウタキのイベまでいく。イベが川の中にあるのでハーウガンの声が聞かれる。ハーウガンは旧五月四日で門中の行事である。

(中城ノロの五月ウマチーの、かつての詳細報告は明日の調査後に)

  
  崎山ノロ殿内の祠    仲尾次(中城神ハサギ)    与那嶺の神ハサギ 

  
  諸喜田ウタキ   ウタキのイベの香炉  志慶真と諸喜田の神ハサギ

      
 諸喜田・志慶真神ハサギ広場で  兼次神ハサギ  城間系統日記の表紙