奄美大島は笠利間切・名瀬間切・古見間切・住用間切・屋喜内(焼内)間切・東間切・西間切からなる。加計呂麻島は東間切と西間切とに別れる。かつての間切の領域が、今にどう影響を及ぼしているのか。
現在の瀬戸内町は奄美大島の南西部と大島海峡(瀬戸内)を隔てた加計呂麻島、さらに請島水道を挟んだ与路島・請島などからなる。瀬戸内町となったのは昭和31年である。その時、西方村と鎮西村、実久村と古仁屋町が合併する。
・瀬戸内西間切の西の大屋子職補任辞令書(嘉靖27年:)
西の大屋子→東の首里大屋子
・屋喜内間切の名柄掟職補任辞令書(嘉靖35年:1548)
屋喜内間切名柄掟→( 間切)名音掟
・瀬戸内間切の安木名目差職補任辞令書(隆慶5年:1571)
東間切安木名目差→屋喜内間切名柄掟
・屋喜内間切の崎原目差職補任辞令書(隆慶6年:1572)
屋喜内間切崎原目差→瀬戸内間切東間切安木名目差
・瀬戸内東間切の首里大屋子職補任辞令書(嘉靖)
瀬戸内東間切の首里大屋子→笠利のひのせと
・笠利間切の笠利首里大屋子職補任辞令書(隆慶2年:1568)
笠利間切笠利の首里大屋子→笠利間切喜瀬の大屋子
・瀬戸内東間切の首里大屋子職補任辞令書(隆慶2年:1568)
瀬戸内東間切の首里大屋子→喜瀬大屋子
・屋喜内間切の屋喜内大屋子職補任辞令書
屋喜内間切の屋喜内の大屋子→大和浜目差
▲公民館の後ろにあるグジの墓 ▲川沿いの左側は神道
▲サンゴ石の屋敷囲いが目につく ▲芝の中央公民館の分館
▲芝ではトネヤと呼んでいる(アシャゲ?) ▲寄贈名は女性名のみ
阿多地の原(字)(17)
・反間原 ・伊場原 ・小川原 ・汐時原 ・金間原 ・畑キ尻原 ・鋏川原 ・返シ平原 ・小川作原
・茂畑キ原 ・川内原 ・山作原 ・前ノ平原 ・仲ノ作原 ・・上反間原 ・木平原