「沖縄移民と當山久三」 トップへ
「沖縄移民と久三」が『南遊記』(昭和10年:朝日新聞社発行)に下村海南によって紹介されています。昭和10年当時の移民の状況がよくわかる。海南氏は金武村(現金武町)を訪れ、沖縄県民の海外躍進を祝福しています。昭和9年の統計によるとハワイへの移民(在留)、送金高は一位を占めている。
現在(昭和10年)の沖縄県民は体質の上より見てかなり欠点も多いが、人口の上から見て密度多きに過ぐる事も何んとか解決をつけねばならない。この解決は他府県の島嶼において常に見る如く島外への移出である。沖縄県民は女工などゝなり他府県へも相当出ているが、海外への進出もかなり多い。
昭和九年の統計によると海外ある者及び其の送金高は次の如くである。
国 名 在留人員 送金高
・布哇(ハワイ) 11,061 798,285
・伯西(ブラジル) 9,092 215,856
・ペルー 6,780 498,199
・ヒリッピン 5,962 393,458
・アルゼンチン 2,344 251,736
・其 他 3,022 249,213
(工事中)
【移民の父 當山久三】(金城武男)(当山久三・五十周年追悼記念誌)
やすらかれ祈る心をとことはに
守りはたせよ金武世界石
吾人は、かれの奮闘努力jを永久に記念し、かれの徳を
讃え、かれが打ち建てた金武世界石を堅く守護するこ
とによって、かれの霊に報い、かれの意志に応えんこ
とを希望するものである。
平 良 新 助