2012年01月27日(金)メモ 今帰仁村今泊の祭祀場
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今帰仁村今泊の集落内の拝所。明治36年に今帰仁村(ムラ)と親泊村(ムラ)が合併、明治39年に分離し、昭和48年に再び合併、字今泊となり現在に至ります。合併・分離・合併をします。それと今泊には今帰仁グスクを抱えています。今帰仁グスクと集落との関係を祭祀から見ていきます。すると、そこにムラとウタキ・グスクと祭祀の関係を見究めていく必要があります。
行政村の合併・分離から村や集落の歴史的な変遷、それと集落移動と故地の拝所との関係から法則性を持っていることが分かります。それらの法則性を説明するために集落内の祭祀場を確認しておきます。
【今帰仁村今泊の年中祭祀】
(拝む場所)
・立御願(1月1日)(公民館の縁側:トゥバシリ)
・二月ウマチー(立御願:旧2月14日)(ヌンドゥルーチ)
・プトゥチウグヮン(旧2月15日)(フィドゥンチ:古宇利殿内火神)
・三月ウマチー(旧3月14日)(ティラ・ウルを播く、現在遥拝)
(旧3月15日)(フィドゥンチ)
・アブシバレー(旧4月14日)(ヌンドゥルーチ)
(旧4月15日)(フィドゥンチ)
・プトゥチ御願(旧4月15日)(フィドゥンチ)
・プトゥチ御願(旧5月14日(ヌンドゥンチ)
・フプウガン(嶽ヌ御願)(旧5月15日)(フィドゥンチ・クバヌ御嶽・サカンケー)
・5月29日(プトゥキヌイピャ)
・六月ウマチー(6月15日)(ティラ・フィドゥンチ)
・ウーニフジ(旧盆明けの戌の日)(ハタイバルウーニ・レコーラウーニ)
ウプユミ(大折目)(旧盆明けの亥の日)グスクウイミ(城内神ハサギ跡・カラウカー・イベ・シバンティナの浜・プイヌモー)
シマウイミ(村内ウガミ)(フプハサギ・ハサギンクヮ・ウッチハタイ・獅子小屋前・大道・シヌグイ道)
・グスクウイミ(旧8月10日)(グスク内の神ハサギ跡)
・フプウガン・タイヌウガン(旧5月15日)(フィドゥンチ・クバヌウタキ・サカンケー)
・プトゥキイヒャ(旧暦9月15日)
・プトゥチウガン(新暦12月24日)(ヌゥンドゥルチ・両ハサーギ・ウッチハタイ・セークヤーのハー・公民館)
▲今帰仁ノロ家近くにあるプイヌモー ▲グスクへ遥拝する(プイヌモー:ウンジャミの時)
▲ハサギンクヮー(今帰仁村神ハサギ) ▲獅小屋(旧8月11日に登場)
▲オーレーウドゥン跡(按司御殿か:按司位牌あり) ▲フプハサーギ(親泊村神ハサギ)
▲セークヤー前のハー ▲シニグイ道(集落内:公民館)
▲公民館裏のハー(井戸)
2012年01月26日(木)
今帰仁グスク及び周辺の拝所を祭祀との関係で確認しておきたい。
(工事中)
▲クボウヌ御嶽への遥拝の香炉 ▲ハタイ原ウーニ(後方具志堅ウーニ)
▲ティラ(テラ)(小さなガマ) ▲ミームングスク
▲トゥムヌハーニー火神の祠 ▲トゥムヌハーニー火神(内部)
▲今帰仁阿応理屋恵火神の祠 ▲内部の様子 ▲祠の後方にある香炉
▲デコーラウーニ(右側具志堅ウーニ) ▲クボウヌ御嶽(ウガミ)
▲テンチヂアマチヂ(上のウタキのイベ) ▲城内火神の祠 ▲グスク内のカラウカー
▲エーガー(親川) ▲エーガーの拝所(香炉) ▲シバンティナの浜(海神祭)
▲今帰仁グスクの平郎門 ▲古宇利殿内火神の祠 ▲内部の火神と香炉
▲クボウヌウタキ八合目のイベ ▲クボウヌウタキの頂上部からの眺め
▲クボウヌウタキのイビヌメー
2012年01月14日(土)メモ
今帰仁グスクの火神の祠と監守来歴碑記と石燈籠。向氏家譜(具志川家)に「今帰仁旧城図」(乾隆八年:1743)がある。図に本門・脇門・はんた原・火神・下ノイヘ・上ノイヘ・トノ敷がある。
それ以前の『琉球国由来記』(1713年)に今帰仁グスクと関わるのは城内上之嶽・城内下之嶽・今帰仁里主所火神・今帰仁城内神アシアゲがある。また毎年七月の大折目(海神祭)の所に、城内のヨウスイ(タモト)・アワシ川・アザナ・庭・ナガレ庭(城外)・親川と出てくる。
旧蹟のところで本門(平郎門)・裏門(志慶真門)・カナイヤブ(城内の鎭所)・志慶真川原・水ハリ(親泊村の東)がある。
『沖縄島諸祭神祝女類別表』(田代安定撰録:明治17年頃か)に今帰仁・親泊村に14の拝所が記されている。。
①公方ノ嶽
②ヨクノカタ
③シノグン子 ④テラ ⑤トモノ内子ノロクモイ火ノ神 ⑥祝部火ノ神 ⑦神アシアゲ
⑧本ノロクモイ火神
⑨旧惣地頭火ノ神所
⑩今帰仁古城内神アシアゲ ⑪天辻 ⑫雨辻 ⑬旧按司地頭火神
⑭カラ川
それらの資料を駆使して場所を特定してみる必要がある。祭祀場は300年経っても、変わるものではないことがわかる
(上の黒ゴシックは確認できる場所。
赤は末特定
)
。(詳細については別報告)
▲火神(按司地頭火神) ▲山北監守来歴碑記(乾隆14年)と石燈籠(同年)
▲城内神アシアゲ跡:ヨオスイ
▲「今帰仁旧城図」(乾隆8年:1743)(『具志川家譜』所収より)(測量は前年)