26期 7回  「ムラ・シマ講座」―今帰仁村平敷―2018年11月10日(土)開催
        
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 今回の「山原のムラ・シマ講座」は、今帰仁村平敷である。2012年にも開催しています。今回も先日下見で平敷の数ヶ所を踏査してみました。平敷については1987年(昭和62)79日付の調査記録があります。調査者は山内昌藤氏、玉城三郎氏、島袋満氏、談は仲里正吉氏でした。四者とも今では故人となりました。当時、私は文化財保存調査委員をしていたこともあり、一緒に調査してきたメンバーです(当時、私は「北山の歴史」や「運天の歴史」や墓の調査を中心にしていた新米でした)。

 私が今帰仁村の教育委員会に来たのは平成元年でしたので大学で教鞭を取っていた頃。休日や夏・冬休みになると今帰仁に足を運んでいました。各地に足を運ぶのは、当時からの延長です。

 さて、ムラ・シマ講座は平敷です。その記録で説明することに。


この調査記録は今では調査できないほど消滅しています。それで、当時の調査記録として全文紹介することにします。

【今帰仁村平敷】

 
名  称:アサギ 異称:ピシチハサーギ
  所在地:字平敷運田原(137913□□番地)
 立地・構造・変遷
  旧平敷売店の横の小経を北へ約150m位行くと、琉球松や広葉樹におわれ下草の茂る小高い森がある。入口に
  コンクリートの鳥居が立ち、中は広場になっていて、四つのコンクリートの小屋がある。この小屋はいずれも殿内
  と呼ばれている。北に北側に位置し、南に面したセメント葺きの家がアサギである。
  殿内は部落内のあちこちにあったのを1966年に現在の場所に移してきた。移された殿内は、
  ・シマダ(シマダチ)殿内は従来から現在の場所にあった。
  ・ウッチ(掟)殿内はアサギの50m南方仲里家裏から。
  ・ペーフ殿内はアサギの鳥居をすぐ左手から。
  ・大主殿内はアサギの100m位南の道傍島袋家(ヒチャングンチ~ヒチャヌトゥンチ)の東側。
 それぞれ同時に移されている。
 ウタキ内の広場の南端にイビと言われて、一段高い場所に珊瑚石灰岩があり、拝所となっている所がある。陰陽石
 と思われる石が祀られている。
 アサギの森の東側に樹木が連なり平敷ガーがあり、南西方向にはタチヌヘイと呼んでいる琉球松の大木が茂っ
 た広場がある。

 主な年中祭祀
  旧暦4月15
  嶽のお願い(四ヶ字のウガンという)の日にスムチナ御嶽のウガンから引き続いてアサギ内の各殿内において祭祀を行う。

 平敷は戦後(昭和30年代~50年代)ユタの言によって小さな祠があちこちに建てられている。しかし近年祭る人も少なくなって扉は鍵がかかったまま放置されている。
 字の人々もこの状況に憂慮して字常会に於いて幾度か話し合いの議題になったこともある。
     (話者:仲里正吉氏)



  ・シマダ殿内シマダチ殿内(ムラ立ちの人を祀るか)
  ・ペーフ・掟・大主の三ヶ殿内は部落内の各処にあったのを合祀した。
  ・ペーフ殿内鳥居のそばから
  ・掟殿内 仲里正吉裏側から
  ・大主殿内ヒチャングヌチの東から

聞き逃し
   ・三つの殿内の合祀年
   ・ニーケーグラの祭の日について
   ・親神・女神とは
   ・シマダドゥンチに泊るというが、合祀以前もそうか。

 ・ニーケーグラ(鉄筋コンクリートスラブ建て

  祭 祀 

5月13日~15日 神人は祭りのため衣類、クバ笠を新調する。夫婦相合もしない。
    13日午前10時、女神が先導する。人払いをする。あまり通る所人のいない道をえらんで通る。
    神人はニーケーグラに泊る。親神と女神はシマダドゥンチに泊る。神人が用があると声はかけずキセル
       等で床をトントンとたたく。音を聞いて女神が行って用をすませる。
     14日字民はごちそうを作って慰問に来る
      14日の夜半
       島は日没後と夜半の梟(ユナハシコフ)が鳴き止むと神人は仏を浴びせる。仏とは何であるかよく

わかっていない。
       どのようにして浴びせたかも知らない。
    神人は14日に一時帰宅する。
    神田から(ジニンサにある)から稲を刈りて来て精米用の引き臼、突き臼や炊飯の一切を持ちこん

で、ここで作業をする。
      15日 朝早く帰宅。
      現在神人はいない。
    最後の神人は越地のナビウイマヤーのばあさんだった。この人の死後絶えて古式の祭祀はしていない。
      15日 字民がやって来て祭祀をする。
    ・拝所の管理者
     与那嶺林清 平敷の本家(モートーヤー)で先祖代々神職をつとめて来た。
     仲村家 仲村文(故人)の父は男神だった。
     マチヌヘイ
      字の大勢の人が集まる時の集会所/与那原への遥拝所(仲里庄吉)香炉あり、原石の破片を利用
     平敷ガー
       515日のカーウガミの時だけ
 
 【嶽のウガンの拝所】(旧4月15日)

     ・シマダ殿内 ・ペーフ殿内 ・掟殿掟 ・大主殿内 ・ニーケーグラ ・イビ
     玉城ノロが平敷に来る時ピャーマチ(謝名の上手名)までタイマツを持って迎えに行った。

タイマツの火が飛び火して甘蔗畑を焼いて以後堤燈に変わった。現在行われていない。
     ペーフ 二人いた。一人はマイペーフ(四ヶ字を廻った)、一人は字内のペーフ
    ・これらの拝所の他に近年個人的に建てた拝所が字内に七ヶ所ある。
    ・ペーフ殿内の上段に二ヶ所あるのは個人が祀っている。

   
  平敷の神アサギ      合祀(ペーフ殿内・掟殿内・大主殿内)  ニーケーグラ