今帰仁村内の墓調査(2003.2.21記録)             トップへ

 
 明日の報告の準備。墓シンポジウム。報告だけなら自分のペースで。その後のシンポジウムまで考えると頭が痛いですね。なるようになるで行きましょう。これから準備にかかります。どんな報告になるのか。

 墓をみていると、各家庭にはそれぞれの事情があるように、墓にも一言で結論づけられるようなものではないということ。墓の持ち主は家系や血筋を確認したくなるでしょう。私は血筋や家系がどうということも関心があるが、中がどうなっているのか、誰がはいているのか。葬るときに一族がどんな判断をしたのか、そこに関心がある。「三十三回忌になるとイケに骨をこぼす」と言われているが、実のところこぼすことを、ある時期から止めているのではないか。三十三回忌をきちっと済ませたにも関わらず厨子甕からお骨をこぼすことなくある。(イケにこぼした古い墓はあることはある。厨子甕の再利用は非常に少ない)。

 今帰仁村のこれまでの墓調査をみていると、どうも17世紀中頃に墓の様式に大きな変化があったのではないか。17世紀後半頃から銘書が見えてくる。それと銘書に漢字表記の村名が登場し、さらに間切役人の役職が墨字で書かれるようになってくる。村名や間切役人(地頭代や夫地頭、首里大屋子・掟など)に漢字があてられるのは1713年の『琉球国由来記』からである。もちろんそれ以前に漢字が充てられたであろうが。

 17世紀中頃の『琉球国高究帳』では村名はまだひらがな表記が主である。どうも二つの資料の間、つまり17世紀後半頃、厨子甕に間切名や村名や役職名を記載(銘書)するようになったのではないか。そんなことをこれまで関わってきた墓調査を踏まえながら、銘書には死去年月日もあるが洗骨日を記載したのもある。墓の向きも法則性が見出しにくいのは、墓を作る人の生まれ年が判断とされているのであれば、墓の向きがバラバラでいいわけである。といったことを報告の一部にできればと考えている。これは思いつき、明日はレジュメに沿って報告しましょう。しかし、これまでレジュメに沿って報告したことはほとんどありません。

 その後、墓調査にいくつも関わってきた。ここで近世期の墓の様子が明らかにすることができた。それは例外的な墓の一例かもしれませんが。



今帰仁ノロ墓(2012年12月6日記録) 今帰仁村の墓―事例―

 今帰仁ノロの墓の内部を見る機会があった。夏の台風で今帰仁ノロ墓の石積みが崩壊してしまった。内部を見てほしいとの連絡があり、早速職員を伴ってノロ墓へ。横穴の掘り抜きの墓で、積まれた石は比較的やわらかいものである。正面の墓口は海石(珊瑚石灰岩)で非常に軽い。

 石製厨子甕が三基、御殿型の陶製厨子甕が二基、御殿型の陶製(素焼?)の厨子甕一基、蓋のない無頸(ボージャー)一基の計七基が納められている。向って右側にはイケがあり、そこには厨子甕に入れる以前のノロの遺骨とみられる。つまり、厨子甕に入っているノロの以前のノロの遺骨とみてよさそうである。

 今帰仁ノロ宅(ナキジンヌンドルチ)に立ち寄り、位牌も見せてもらった。ノロ墓の厨子甕に葬られているノロは位牌にあるノロと見られる。(その中の無頸(ボージャー)の甕についてははっきりしない)。

 位牌にあるノロより古い方のノロはイケに置かれているとみてよさそうである。石製(厨子甕)に洗骨して葬る習慣以前の時代のノロの葬り方。今帰仁ノロの位牌の古い方は戒名しか記されていない。山原では1700年代から位牌に銘を書き記すとと厨子甕に洗骨を納める習俗になったと見られる。一般的な墓の事例からも。

【墓地内の厨子甕】

 @ABCとボージャ(無頸の厨子甕)には銘はなし。但し、Bには文字らしきものがあるが判読不能。銘はないが、位牌ののろの1〜6代とほぼ一致している(一基のみ不明)。

 @石製厨子甕(銘なし)
 A石製厨子甕(銘なし)
 △B石製厨子甕(銘判読できない)(四代ノロクモイか)
 C御殿型焼き厨子甕(銘なし)
 Dに「五代のろくもい 仲尾次タマ 歳四拾壱」、「明治参拾八年正月弐拾弐日死去 
   明治四拾壱年拾壱月弐壱五日洗骨」とある。
 Eに「大正十五年寅十月十六日死去 六代乃ろくもい 仲尾次たま 二五才 
     昭和六年旧十二月三日洗骨」とある。
 F無頸の厨子甕(銘なし) 

【位 牌】(〇は墓地ののろくもいと一致)

   〇大正十五年寅十月十五日死去 六代乃ろくもい仲尾次タマ
    ・古岸妙寿信女
    霊 位
    ・寿林妙霊信女
    ・心安妙寿信女
   △四代明治五年丙寅五月二十二日死去 歳三十九
   〇五代乃ろくもい 明治三十八年巳正月二十二日死去 歳四十一

  
   
    
 ▲台風で全面が崩壊したノロ墓             ▲墓の内部を伺う


 
   
@A墓の向って左側に石製厨子甕       B正面奥の石製厨子甕

  
 
 C御殿型の籐製(素焼?)厨子甕       D五代目ののろくもい     E六代目ののろくもい

 
  
▲イケの六名以前のノロの遺骨    ▲無頸(ボージャー)の厨子甕

 
    
▲今帰仁ノロ家の位牌                ▲六名のノロの位牌