今帰仁村今泊の海神祭(ウンジャミ)は旧盆明けの戌の日から始まり、三日間行われる。一日目(戌の日)、二日目(亥の日)、三日目子の日)に行われた。以下の調査報告は2008年(平成20)に行われた報告です。三日間の祭祀をまとめて海神祭(ウンジャミ)と呼ばれる。今帰仁ノロさんは(昭和8年生れ)。那覇から今帰仁ノロ家に嫁ぐ(代理ノロとの認識をもつ)。
調査者:仲原 弘哲(歴文)
上地 美和(大阪大大学院)
玉城 菜美路(歴文)
【一日目】ウーニフジ(御船漕ぎ)
旧盆明けの戌の日に二ヶ所のウーニ(ハンタバルウーニとデコーラウーニ)で行われるウガン(御願い)です。今泊公民館からスタート(ノロさんは車でお迎え)いてハンタバルウーニへ。入り口で車を降り徒歩でウーニ(御船型をした二基の岩)いく。ノロ・区長・書記(神人はノロさんのみ)、持参したのは供え物の御神酒・線香・お米・菓子でした。
そこには二つの岩があり舟型をした凹みがある。舟に見立ててのウガンである。隣の具志堅からもウガンに参加していたようであるが、その年は参加なしでした。一基は今帰仁ウーニ、もう一方は本部(具志堅)ウーニと呼んでいます。そこでのウガンが済むと、今帰仁グスク前方のデコーラウーニへ向かう。
デコーラウーニにも、船型をした土盛りの二つのウーニ(御船)があり、左がが今帰仁ウーニ、右側が本部ウーニと呼ばれる。グサニ(杖)が二つのウーニに櫂の位置に置かれる。ノロさんは白の神衣装を羽織、白布のハチマキをする(正装)。そこでも線香・お米・御神酒がそなえられる。(かつては、グサニに唐船を描いた旗がつけられている。航海安全を祈った儀式のようである。そこからグサニを突きながら今帰仁グスクの平郎門(チケットもぎり場)の前まで徒歩でいく。そこではグスクに向かって手を合わすのみ。
【ハタンタ原ウーニ】
▲馬車道で車を降り徒歩でハタイバルウーニへ
▲今帰仁ウーニでの祈り(白の神衣装は羽織らず)
【デコーラウーニで】
ハンタ原ウーニで祭祀が終わると馬車道に戻り、車でデコーラウーニへ。ノロさんは到着すると白の神衣装を羽織、祈りをする。区長が先に杖を櫂にした二つの船に置く。ノロさんは今帰仁ウーニに線香・お米・御神酒・菓子を供えて祈る。祈りをすますと杖をつきながら今帰仁グスクの平郎門の前まで。そこで両手を合わ(供えなし)て一日目のウーニフジの祭祀は終わる。
▲デコーラウーニへ向かう ▲デコーラウーニの様子 ▲供え物
▲土盛りの今帰仁ウーニに備えをして祈り、船には櫂を模した杖を置く ▲徒歩でグスクの平郎門へ
【二日目(グスク内で)
二日目の祭祀はグスクウイミと呼ばれる。まず、グスク内の神ハサギ跡(石の香炉がおかれている)にいき、そこでの祈りがある。香炉はテンチヂアマチヂに向かっている。現在神アサギの建物はないが、大正の頃まであったという。乾隆7年の絵図に建物がある。
神アサギ跡(香炉)の向こう側に今帰仁ノロの玉アガーラと簪が置かれる。グスク内での儀式は白の神衣装(正装)で行われる。
神アサギ跡(香炉)の前での祈りが終わると、ノロさんはグスク内の数カ所を回る。反時計回りに、カラウカー→監守火神の側→テンチチジ・アマチヂ(ウタキのイベ)→ソエツギノウタキ(イベ)→神アサギ跡へと回る。
グスク内の儀式が終わると旧道降り口で餅が配られる。それが終わるとグスクを出て車でシバンティナの浜へ。(かつては唐船旗を掲げた杖で徒歩で浜まで)
▲餅が配られる場所 ▲グスクからシバンティナ浜へ
シバンティナの浜に着くと、グサニ(杖)を波打ち際に立て、供え物を置き祈りがはじまる。海の彼方への神送りか。祈りが終わるノロさんは海水に足を浸し、手で潮水をとり額に三回なでる(潮なで)。そこでの供え物は線香(火をつける)・お米・菓子を供える。
シバンテイィナでの祭祀が終わるとプイヌモーへ。今泊バス停留所近く(ノロドゥンチ)から今帰仁グスクへ向かってグスクウイミの終わりを告げる。(プイヌモーでの画像なし)
【三日目】(シマウイミ)
三日目の祭祀はシマウイミと呼ばれる。シマウイミハは集落内にあるハサインクヮー(今帰仁村神アサギ:安次嶺ハサーギともいう)とフプハサーギ(親泊村神ハサーギ)で行われる。ハサギンクヮーからスタートし、公民舘側のフプハサーギで終わる。供え物は線香・お酒・お米、豆腐が供えられる。
▲ハサギンクヮー(今帰仁ハサーギ) ▲領ハサーギでの供え物(豆腐あり)
▲フプハサギ(親泊ハサギ)でのウガン ▲フプハサギ(親泊ハサギ)