名護市呉我(旧羽地村)                   トップヘ

・移動した村と御嶽(ウタキ) ・旧羽地村呉我のヤーサグイ 


【移動した村と御嶽(ウタキ)】(2004年7月18日)

 「移動村の御嶽(ウタキ)」については、C天底(1719年移動)を事例として紹介した。今朝立ち寄った羽地間切呉我村(現在名護市)も移動村の一例である。その呉我村が移動した地で御嶽をどう設置したのか。呉我は村移転200年や250年の記念祭を行い碑を建立している。
 
 呉我は『琉球国高究帳』(1640年代)では今帰仁間切ごが村と出てくる。1713年の『琉球国由来記』では羽地間切呉我村として登場することから、羽地間切の村となったのは1690年頃だと考えている。現在地への村の移動は1736年であるから呉我山における御嶽と神名である。呉河之嶽 神名:イタオエクチワカ御イベとある。現在の御嶽のイベに同様に刻銘されている。

 1736年に現在の今帰仁村呉我山地内にあった呉我村(この時は、羽地間切の内)が移転した。呉我・振慶名・我部・松田・桃原の五つの村が蔡温の山林政策で移動させられた。それは山林政策だけでなく、呉我は羽地大川下流域の開拓が狙いだったにちがいない。奈佐田川とフアマタガー(旧羽地大川)とが合流する一帯は呉我・古我知・我祖河の田が入り組んであった。呉我の村移動は、そのような未開拓地があったから移動が許されたのである(風水がどうかの前に)。

 
 ここでのテーマは移動した村が御嶽をどうつくったかである。それと御嶽をつくる場合故地に向っているのかどうか。近世の移動村は御嶽をつくり、祭祀を継承している。御嶽の向きは必ずしも故地に向けていない。杜を御嶽とし高いところにイベを設けてある。呉我は麓に神アサギがある。アサギとセットで他の拝所の火神を祭ってある。稲穂が祭ってあった。イビの前に香炉が置かれ、その後方から急な坂の小道が御嶽のイベまでつながっている。村が移動すると新地で御嶽や神アサギをつくり、祭祀をしっかり継承している。因みに呉我は『琉球国由来記』以後、村移動があったが我部ノロの管轄の移動はなかった。

 呉我村は我祖河村や古我知村地内に移転しており、呉我村に前の二か村の墓がある。呉我港と呼ぶところは、古我知港と呼ばれていた。呉我の耕作地(田畑)は集落の後方のウフェーを越えた旧羽地大川流域に広がる。

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 ▲呉我村250年と200年移転の記念碑      ▲呉我の御嶽からみた現在の集落

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  ▲後方の杜が御嶽、中央部が神アサギ ▲御嶽の頂上部にあるイベ

【我呉のヤーサグイ】(2005年7月31)

 古宇利島から帰り際、旧羽地村呉我で行なわれているヤーサグイの祭祀を見る機会に恵まれた。ヤーサグイとサーザーウェーと共通する場面がいくつも見られる。この祭祀もウンジャミ(海神祭)がそうであったように、いくつかの祭祀や要素が組み込まれているのではないか。そんな印象を持つ。つまり、ここではウンジャミ、あそこではシニグやウプユミなどと。

 古宇利島で旧暦の6月26日に行われるサーザーウェーは呉我ではヤーサグイと呼ばれているのではないか。古宇利島の旧家や新築家回り部分はヤーサグイと言ってもよさそうである(他にいくつか共通部分がある。まとめて報告する)。

  呉我ではかつて七件の家々を太鼓を打ちながらまわっていた。
  古宇利ではウンナヤー→ウチ神ヤー→新築の家→フンシヤー(1日目)
         ムラヤー→ヌルヤー→新築の家→しちやぐやー→お宮(2日目)
        (省略されている部分がある。かつては鼓を打っていた)

 同じ日に行なわれる他の地域の祭祀と比較検討すると、祭祀の名称は異なるが共通性が見えてくる。名称は祭祀の一面を示しているに過ぎないことがわかる。


   
▲ピロシーの前の祈り             ▲ヒートゥを捕獲する場面


【旧羽地村呉我のヤーサグイ】(現在名護市)

 古宇利島からの帰る途中、呉我のアサギミャーで祭祀が行われているのと出会う。車をUターンさせ、「通りすがりですが見ていいですか?」「どうぞ、どうぞ」ということで参加。
雨が降り出したので神アサギへ移動する。アサギミャーに御座を敷き、白い神衣装を着た女の神人は一人。数員の呉我の方々。区長さんと書記さんが加わっているようだ。

 「今日の行事はなんでしょうか?」と訪ねると「ヤーサグイですよ」と。漢字を充てると「屋探い」だろうか。籠(バーキ?)を二人担いて回る所作がある。小太鼓あり、一升瓶の泡盛二本。「旧暦6月26日に男神人、女神人総員で字内の七戸の家々を順次まわり、その家に神徳を授け、それに応えて、その家は神人を接待する行事である」(『呉我誌』)と。

 古宇利島のサーザーウェーと重ね見ると、旧暦6月26日の祭祀の姿が見えてきそうである。ウンジャミ(海神祭)でもそうであったが、祭祀の名称が必ずしも本質をついていないのではないか(そのことは別にまとめることに)。祭祀の名称の語義から紐解くことはあまり意味をなさないのではないか。かつて神アサギがあった場所やヤーサグイのこと、そして女の神人は現在一人になっているなど、興味深い話をきくことができた。


   
▲呉我のアサギミャーで。バーキに神酒をいれて奉納する所作か(呉我)


          
 ▲雨が降り出したので神アサギ内で直会をする(呉我)