名護市源河                            トップヘ



2003.5.7(水)

 連休明けは気が重い。腰を上げるのに時間がかかる。また、休み明けはあれこれスケジュールが入る。今年の連休は、前半は伊平屋島。後半は一日は家でブラブラしたかったのであるが、買い物に出かけたら、つい名護市源河まで走っていた。そのまま戻るには、「まだ時間があるなぁー」一時間半ばかり・・・。ちょっと集落に入ってみようかと。まず、今では村名の消えた瀬洲村へ。さらに源河まで足を運んでみた。瀬洲は現在名護市の源河に吸収されているが、近世にあった村である。


〔瀬洲・源河をゆく〕

 『琉球国由来記』(1713年)に瀬洲村に源河之嶽があり、源河村に上城嶽、野国ニヤ嶽、源河神アシアギ、源河巫火神がある。瀬洲村には源河之嶽と掟神火神と瀬洲村神アシャゲがある。源河村と瀬洲村の両方に神アシアギがあり、源河ノロの管轄となっている(『琉球国由来記』で御嶽の部分で真喜屋ノロの管轄としている部分があるので注意を要する)。現在、源河に神アサギがない。昭和2年にクーグシクに拝所(お宮)をつくり統合してしまったようだ。お宮の内部で瀬洲と源河の拝所は区分している。

 瀬洲村跡は源河の東側の山の麓に細長く集落(メーガーと呼ばれているようだ)が展開している。そこが瀬洲村の故地から移動してできた集落である。故地の近くに瀬洲嶽(シーシウタキ)があり、その名残りをかろうじてとどめている。瀬洲村の源河村への合併の時期は今のところはっきりしない。明治13年の「県統計概表」に瀬洲村は見えない。また明治15年頃の『羽地間切神拝所』に「瀬洲内神火ノ神と瀬洲嶽」は出てくるが村名と神アサギは出てこないので、そのころにはすでに統合されていたのであろう。もう少し現場の踏査が必要だ。

 瀬洲から源河のウーグシクまで登る。お宮のあるクーグスク(小グスク)はウーグスク(大グスク)に対する呼び方のようだ。そこには源河ウェーキ(豪農)の屋敷が残っている。前方は道路に沿って円形に石積みされ、門口の石積みは、ずれないように結構工夫をこらしている。石はほとんどが海石(珊瑚石灰岩)である。石積みのブタ小屋があり、屋根部分はアーチ型に削った石積みとなっている。

 源河ウェーキは国頭地方一、沖縄の三大ウェーキの一つだといわれている。明治14年11月上杉県令一行が羽地間切から大宜味間切への途中、源河ウェーキで小休止している。「国頭地方、第一の金満家」と表現している。

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    ▲源河の集落。右側の川は源河川     ▲源河ウェーキの屋敷の石積みの一部

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▲源河ウェーキの門の石垣        ▲同家のブタ小屋(ウヮンプル)の跡

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     ▲同家の勝手口の門          ▲瀬洲集落のカー(前湧泉?)