名護市の我部祖河です。我部祖河みていく場合、まず羽地間切(村:ソン)の一つの村(現在は区、アザ)であったことを頭に入れておく必要があります。現在の名護市は羽地村(間切)と名護町(間切)と久志村(間切)、戦後屋我地村、屋部村が創設されます。昭和45年(1970)に名護町、屋部村、羽地村、屋我地村、久志村が合併し名護市となります。合併して40年余になりますが、歴史・文化を見て行く場合は、長い間切時代に蓄積されてきた歴史や文化が今に根強く引継がれています。名護市になって40年余たった現在、大きく、あるいは急激に変貌しつつある我部祖河の地から羽地間切域の一村から、その面影を拾っていきましょう。
昭和50年代、くまなく踏査した経験があります。理解しにくい、あるいはできなかった地域との記憶があります。先日下見で行ったのですが、やはり難しい地域(ムラ)でした。よく解らないことは、ムラを見る視点を変える必要がありそうだ。それは我部祖河のムラ・シマと異なった形態をなしているのでしょう。
大きく変貌したのは、一帯が水田地帯だったことです。また蔡温が大浦川を改修した頃、一帯は湿地帯で川の氾濫がたびたびあった所です。川筋の付け替えや湿地地帯の開拓が行われています。羽地間切の三大ウェーキ(源河・河部祖河・□?)の一人が河部祖河村にいました。我部祖河は民俗学者の宮城真治先生が多くの資料をのこされたムラです。
これまでの視点では説明できなかった河部祖河をどう理解していけばいいのか、その視点を見つけることができそうです。どんなムラでしょうか。おもしろそう!(出発前の説明を聴かないとチンプンカンプンかも)
開催日 平成25年10月19日(土)
今帰仁村歴史文化センター(講堂)に9:00集合
9:20 名護市我部祖河のレクチャー
9:40 名護市我部祖河へ出発(マイクロバス)
10:10 @我部祖河川〜金川(ハニガー)流域(羽地田圃地域)
A我部祖河のウタキ(上バーリ御嶽・ナカムイ)
Bアサギ跡?高倉?の礎石/ウタキのイベ/左縄
C合祀されたお宮と舞台(
Dホ □□□原の印部石
E高倉のある家(県指定)(ナカジョー)
Fサニサギドゥクルの祠
G我部祖河ウェーキ(上間家)
Hメーガージョウフェー(古我知集落から嵐山方面)
I寒水泉(ソージガー)
13:00 歴史文化センター(解散)
▲我部祖河のウタキ(上バーリ御嶽・ナカムイ) ▲アサギ跡の礎石