羽地按司御初入(1870年9月3日〜26日)(『地方役人関連資料』名護市史資料編5)
・1870年9月
赤平仲尾親雲上(9〜19歳まで御殿奉公)。檀那様が羽地間切にやってくる。
・9月3日 羽地按司をお迎えてのために9月3日に出発。
・9月6日 羽地按司出発日に首里に到着。
台風のため出発を延期する。
・9月8日 首里を出発する。読谷山間切宇座村で一泊する。
・9月9日 恩納間切番所で一泊する。
・9月10日 名護間切番所で一泊する。
・9月11日 羽地間切番所に到着し真喜屋村で宿泊する。
・9月13日 按司一行は親川村にある御殿火神、親川城、勢頭神御河、御殿御川
仲尾村のろ火神、真喜屋のろ火神と御嶽で御立願
・9月14日 按司一行は屋我地島へ渡って我部村のろ火神と御嶽、饒平名のろ火神、いりの寺、東の寺で御立願
(お昼の休憩所は饒平名村我部祖河大屋子の家でとる。済井出村と屋我村を巡検し真喜屋の宿舎に帰る)
・9月15日 羽地間切主催の歓迎の宴が行われた。
・9月16日 羽地按司からのお返しの御馳走の招待。
真喜屋村の宿舎へ赤平仲尾親雲上が参上した。
(招待者:間切役人(サバクリ・惣耕作当・惣山当・文子・御殿奉公した者・各村から下知人など)
神人14人、勘定主取・80歳以上の老人達)
・9月17日以降
羽地按司一行は羽地間切の以下の家に招かれる(以下の6家)。
仲尾次村の下の松田仁屋(仲尾次ウェーキ)、上の仲尾親雲上
伊差川村の古我知大屋子(伊差川古我地屋)
川上村の現真喜屋掟(新島ウェーキ)
源河村の現呉我村(源河ウェーキ)
我部祖河村のこしの宮城仁屋(我部祖河ウェーキ)
・9月26日 羽地按司一行は帰途につく。
赤平仲尾親雲上達は羽地大川の中流のタガラまで見送る。