国頭村安田                             トップヘ



2003.2.18(火)

 大宜味村塩屋・屋古・田港に行き、東海岸に回り東村の平良・川田(先日勾玉の件があったので)へ。さらに北上し国頭村の安波まで。

 安波は国頭村の一つで太平洋側に位置する字である。斜面に発達したシマンナハ、分家筋でできたメーダ(前田)とフクジ(福地)、離れたところに寄留人でできたチュラサク(美作)の集落からなる。シマンナハ集落は斜面に発達し、旧家や神アサギやソージガーなどの拝所があり、山原の古い集落形態を保っている。斜面に位置した集落は昭和30年代までほとんどが家が茅葺屋根であったが、今では茅葺屋根の家は一軒もない。

 安波は昨年大きく変貌した。シマンナハの集落の中をヌルドゥンチまで車が通る道がつけられ、神アサギがコンクリートから赤瓦葺きに、そしてミーヤー(新屋)や上之屋(ウヘー)、アサギナーからヒナバンタにかけて、さらにソージガーなどが整備された。かつての落ち着いた風情が大分失われている。

 安波はウンジャミとシニグが交互に行われている。これまで安波のウンジャミもシニグも部分的にしかみていず、参与観察記録はまだつくっていない(隣の安田とほぼ同時進行で行われているため)。ハナバンタにいくと80歳近い一人のおばあがベンチに腰掛けていた。「安波川の流域はたんぼがあり、その後はキビになり、だあ今は草ボウボウさ。そしてよ、あの引っ込んだところがあるさね。そこに山原船が風よけにとまっていたよ。もっと昔はよ、ムラの下まで船がきよったてよ」など、しばらくゆんたくをした。「家はすぐそこだからよ。遊びにきてよ」と。集落の一番上の家で帰りながら表札をみると「宮城ナエ」とあった。

 「おばあ、ウンジャミやシニグの時、ここも使うの?」と尋ねると、「うん、私も神人(カミンチュ)しているから知っているさ」と。「昔はよ、ヌルは安田まで行ってきよったさ。もっと昔、ヌルは安田から安波に移ってきたってよ」と。
 「おばあ、神人していますよね。神アサギにある梯子であがったのですか」
 「今は歳とって梯子ではあがらんさ」などなど。去年まで使っていた一段あがった神アサギにのぼるのに使っていた木の梯子はヌルドウンチの後ろに置かれていた。「今年のシニグにはきますね」と別れをつげた。安波のおばあとゆんたくできただけで満足じゃ。もちろん、安波の墓地地域も歩いてみた。サキシマスホウの木のある一帯や御願橋の上流部のナンザンバカ(南山墓)とヌルバカのある一帯も(「安波をゆく」で報告)

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 ▲安波川からシマンナハの集落をみる       ▲アサギナーからメーダ(前田)集落をみる

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    ▲新しくつくられた神アサギと梯子        ▲上之屋の隣の家の門(空き屋敷)

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  ▲上之屋の中にある位牌          ▲ヌーガミにある祠


【国頭村安波】(2003年2月18日)

 昨日は一日ぶらりゴロゴロする予定であった。ところが、ゴロゴロして9時、10時と時間が過ぎていくと体が腐ってくる感じ。どこでもいいから、それ行け!!
 結局行ったコースは、大宜味村塩屋・屋古・田港に行き、東海岸に回り東村の平良・川田(先日勾玉の件があったので)へ。さらに北上し国頭村の安波まで。

 安波は国頭村の一つで太平洋側に位置する字である。斜面に発達したシマンナハ、分家筋でできたメーダ(前田)とフクジ(福地)、離れたところに寄留人でできたチュラサク(美作)の集落からなる。シマンナハ集落は斜面に発達し、旧家や神アサギやソージガーなどの拝所があり、山原の古い集落形態を保っている。斜面に位置した集落は昭和30年代までほとんどが家が茅葺屋根であったが、今では茅葺屋根の家は一軒もない。

 安波は昨年大きく変貌した。シマンナハの集落の中をヌルドゥンチまで車が通る道がつけられ、神アサギがコンクリートから赤瓦葺きに、そしてミーヤー(新屋)や上之屋(ウヘー)、アサギナーからヒナバンタにかけて、さらにソージガーなどが整備された。かつての落ち着いた風情が大分失われている。

 安波はウンジャミとシニグが交互に行われている。これまで安波のウンジャミもシニグも部分的にしかみていず、参与観察記録はまだつくっていない(隣の安田とほぼ同時進行で行われているため)。ハナバンタにいくと80歳近い一人のおばあがベンチに腰掛けていた。「安波川の流域はたんぼがあり、その後はキビになり、だあ今は草ボウボウさ。そしてよ、あの引っ込んだところがあるさね。そこに山原船が風よけにとまっていたよ。もっと昔はよ、ムラの下まで船がきよったてよ」など、しばらくゆんたくをした。「家はすぐそこだからよ。遊びにきてよ」と。集落の一番上の家で帰りながら表札をみると「宮城ナエ」とあった。

 「おばあ、ウンジャミやシニグの時、ここも使うの?」と尋ねると、「うん、私も神人(カミンチュ)しているから知っているさ」と。「昔はよ、ヌルは安田まで行ってきよったさ。もっと昔、ヌルは安田から安波に移ってきたってよ」と。
 「おばあ、神人していますよね。神アサギにある梯子であがったのですか」
 「今は歳とって梯子ではあがらんさ」などなど。去年まで使っていた一段あがった神アサギにのぼるのに使っていた木の梯子はヌルドウンチの後ろに置かれていた。「今年のシニグにはきますね」と別れをつげた。安波のおばあとゆんたくできただけで満足じゃ。もちろん、安波の墓地地域も歩いてみた。サキシマスホウの木のある一帯や御願橋の上流部のナンザンバカ(南山墓)とヌルバカのある一帯も(「安波をゆく」で報告)

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 ▲安波川からシマンナハの集落をみる   ▲アサギナーからメーダ(前田)集落をみる

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▲新しくつくられた神アサギと梯子     ▲上之屋の隣の家の門(空き屋敷)

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 ▲上之屋の中にある位牌          ▲ヌーガミにある祠


国頭村のムラ・シマ―安波・辺戸―







国頭村安波の門中 名

平民・士族

戸 数

安波来住前の居住地

  ウンフェー門中(上之大屋門中)

○新屋門中

○与座屋門中

 下口門中(福地屋門中)

○大屋門中

○山畑屋小門中

○大当山小門中

○恩納屋門中

○安田屋小門中

○大玉城門中

○島袋屋門中

○幸地門中(山城屋門中)

 賀数屋門中

 西新里

 福地山城

 名護屋

 新垣門中

 渡嘉敷門中

 平識門中

○多嘉山門中

士族

士族

士族

士族

11

12

11

94

東村川田

東村川田

大宜味村謝名城

国頭村比地

東村川田

国頭村浜

勝連村浜比嘉

国頭村辺戸名

国頭村安田

勝連村浜比嘉

東村川田

名護市屋部

那覇市小禄

宜野湾市大山

糸満市米須

名護市安和

与那原

本部町謝花

勝連村浜比嘉(うるま市)

本部町伊豆味

(いずれも自称する故地)

一門の行事

・正月16日 先祖の正月(自己の門中墓へ)

・正月18日 18夜拝み(一門でウガン)

・清 明   一門の墓へ

・5月15日 カーウガミ(他島の本家へ)

・5月18日 18夜拝み

・7月盆   自己の本家へ

・シヌグ・海神祭  ブラクのシヌグ・海神祭

・8月ウガミ 他の島の本家へ 

・9月18日 18夜拝み

・今帰仁拝み 9月中に7・7年マール

 (門中の代表が廻り、報告する)

・東廻り (今帰仁廻りと同様)


区としての祭祀

・2月吉日 タティウガン

・3月3日  サンガチサンニチ

・4月吉日 アブシバレー

・5月15日 ウマチー

・6月15日 ウマチー

・6月25日 ウイミ

・7月初亥の日(ウンジャミとシヌグが隔年)

・8月10日  ウイミ

・9月9日  クングヮチウガン

11月吉日 タヒナーウイミ

1224日 シリガフウガンウガン











安波のウンジャミ・タヘナーウーミー