安慶名グスクの拝所と集落
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安慶名グスクは現うるま市にある。安慶名グスク内の拝所と麓の集落との関わりをみる。『琉球国由来記』(1713年)に安慶名がどう記されているかと見ると、具志川間切安慶名村とある。安慶名村にグスク嶽・ウエノ嶽・ミヤデラ嶽・ガルマル嶽・オホガク嶽・カクチタ嶽・タイラ嶽の七つの御嶽(イベ)が記されている。安慶名グスク内にある嶽(ウタキ)は一つ。そしてグスク内に「グスク嶽之殿」がある。
『琉球国由来記』ではグスク内にグスク嶽とグスク嶽の殿があることは記されている。他の御嶽がグスクの外側にあるかの確認が必要(未確認)。まずは、グスク内の御嶽のイビと殿がどれなのか。その特定がから。
本丸と呼ばれる場所に新しい香炉が三基置かれている場所がグスク嶽の殿か。グスク嶽のイベは二の丸にある拝所(中の世のみふし)の場所か。
いくつかのグスクや御嶽(ウタキ)をみていると、そこには墓が存在する。その墓が造られるのは近世初期であるが、葬られているのはグスクと関わった人物である。安慶名グスクの墓の人物は伝承上の安慶名按司である。グスク内の殿はその人物の居住場所(火神)の観念が見られる。安慶名グスク内の「グスク嶽之殿」は、安慶名ムラの一族(門中)とは別に安慶名按司の殿(火神)とされている。
(例えば、今帰仁グスク内の火神の祠は今帰仁按司(監守)一族の拝所である。1665年に監守一族は首里に引き上げるが故地に殿(火神)を設ける。他のグスク内の殿も同様な発想で『琉球国由来記』の編集者はまとめているのではないか。神アサギとは別の観念で殿をみ、整理しているのでは)。
▲安慶名グスクへの石段 ▲登り口の墓 ▲安慶名グスク(ウタキ)の全景
▲安慶名グスクから眺めた現集落
▲グスク嶽の殿跡か ▲中の世のみふしがグスク嶽のイベか