ムラ・シマ講座                  トップ(もくじ)
                (2019年3月~


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    15回

2019年10月15日(日)

第15回 山原のイノシシ

 ①名護市嘉陽(数年前までイノブタがたのだが、ヤギ小屋になっていた)
 ②東村山と森と水の舘(ごんすけくんが元気に過ごしている)
 ③大宜味村押川(二、三年前まで四、五頭いたのだが、)
 ④大宜味村田嘉里(三年前まで一頭いたのだが、飼われていた跡が)
    (田嘉里川沿いでウリボウを二頭引き連れた親子とであったことが)

 11月に「ヤマシシと山原の祭祀」をテーマで報告予定。その下調べ。
 山原(やんばる)の祭祀のシニグや海神祭でイノシシ狩りの場面がよく出てきます。その祭祀も亥の日に行われています。また、大宜味間切の「問答書」(明治20年代)の「付届」でお歳暮の上物として「間切から公儀へ干猪肉一斤、聞得大君へ干猪肉一斤、佐敷殿へ干猪肉一斤など。
    (工事中)

 
       ▲東村の山と水の生活博物館の「ごんすけくん」

  
   ▲博物館で動物の塗り絵をして報告      ▲森の中にイノガキがある(大宜味のハキンジョウ)

 
 ▲屋嘉比でイノシシを飼っていた場所     ▲どこで撮影したイノシシ?


2019年9月14日(土)

第14回 今帰仁村謝名の豊年祭

 『豊年祭」は一年間の祭祀のクライマックスだと位置づけてみている。一年間の祭祀は、王府時代の休息日(神遊び:今の公休日)だと位置づけている。それと年中祭祀は農耕暦であること。そのことを念頭に入れて調査記録をつくる必要がある。今年のプログラムは31でした。

 まずは、豊年祭が行われる道筋を踏査。次回は四年後、孫二人が、どれだけ記憶に遺してくれるか。

   
 ①豊年祭の会場(アサギミャー)  ②お宮(ウタキ)    ③スクミで奉納舞を行うサンケーモー

  
    ④ミチジュネーのコース(公民館から神アサギ庭:会場へ)

 
      ▲長者の大主からはじまり操り獅子(アヤーチ)まで

2019年8月25日(

第13回 伊江島

 はじめての海外での講座。遠足気分。伊江島役場跡からスタート。役場(番所)跡周辺のフパシャドゥ(池跡)、フシャトゥ森、公益質屋跡、山下り道を通りフプアンシャリ殿へ。屋敷囲いのユスの木の大木、大折目の流れ。

 島むら屋へ。島むら屋(資料舘)の展示をみる。

  
▲初めての海外へ講座(フェリーで)          ▲伊江島番跡付近               ▲伊江島役場の碑

  
  ▲公益質屋跡          ▲御殿山(クシャテ森)のイベ        ▲御殿山の下り道

  
▲フプアンシャリ屋敷?(火神の祠)         ▲島むら屋の資料館           ▲辺土名ハノドゥグヮの蔵前
  
▲城山(イータッチュ)へ登るぞ!    ▲頂上からの眺め                ▲登頂成功。カキ氷のプレゼント

2019年8月13日(火)

第12回は「寡黙庵」

 久しぶりの講座。大雨やカゼ、台風などで出来ず。旧盆で急遽再開。
 「寡黙庵」を拠点に、パパイヤの収穫。隣接する謝名の神アサギ、アサギミャーの舞台(今年豊年祭)、周辺の拝所。ウタキにある謝名神社まで。

  
 

2019年6月16日(
 
第11回は名護グスク

 前回の下見と同様なコースを辿る。グスクと聚落とのことを中心に。私の頭の中は、北山の歴史の流れで名護グスクをとらえてみようと。

 メソメソしながら出発。名護神社の拝殿前で「これから泣かないでべんきょうします」と手を合わせて。堀切あたりから調子にのって、質問してくる。神アサギを見つけて本調子。公園やビジターセンターでイモリやチョウや鳥の画像をみて帰る。家に立ち寄ってババに報告。得意げ!


   ▲まずはウタキ(グスク)に手を合わせてから      ▲堀切まできて調子づく


 ▲頂上にあがる途中いくつかの拝所がある             ▲グスク内の神アサギ


       ▲クバハタ門中のイベ                ▲頂上部にあるイベ(ムラ?)

2019年5月26日(

第10回は名護グスク
(下見となる)

 午前9時から名護グスクへ。
   ・名護神社
   ・ノロ殿内
   ・名護グスクと関わる一門のイベ(7、8ヶ所にある)
   ・堀切
   ・グスク内神アサギ
   ・旧家の火神の祠
   ・根神家
   ・グスクと旧集落  







2019年5月19日(

第9回 今帰仁グスクでした!

 午前9時から今帰仁グスクへ。
 ・グスクの大きさを体感
 ・世界遺産のグスクの石垣
 ・グスクの石積み(アンモナイトの化石)
 ・門の前の大きな松の木
 ・参拝道と旧道
 ・ウーウチバルから海を見る
 ・拝所(イベ二ヶ所)
 ・火神と石碑
 ・志気真郭へ
 ・歴史文化センターのビデオでおさらい

 今回は姉弟で参加。二、三ヶ所で報告。

きようは、なきじんグスクに、いきました。
いしが、いっぱい、つまれていました。
もんがあり、そこから石(いし)のかいだんが、ありました。
ふるいみちがあり、でこぼこで でした。
おしろのひろばに でました。
そこには、ウートートゥする、いえが ありました。
うみが、きれいにみえました。
たくさん、みたが、ここまで。おわり

   
     ▲旧道を通る         ▲火の神の拝所と来歴碑記前           ▲志慶真郭の石積みの前で


2019年5月5日(

第8回は大宜味村田嘉里―グラ(竹の子)まつりへ

 五月の連休で疲れ気味で大宜味村田嘉里のグラ祭りへ。

 きょうは、おおぎみそんの たかさとへ行きました。グラ(竹の子)まつりです。
 こうみんかんのなかのてんじをみました。きものやタマガーラなどをみました。

これだけは報告できたかな? 帰り際、竹の新芽(グラ)やカー(三ヶガー)などになると目が輝きました。

  
 ▲田嘉里入り口の竹(グラ)       ▲サンカガー(カー)     ▲展示物より隣の子の食べ物をチラリ

 
 ▲午前中混雑、圧倒されたのかシャッターが切られていない。説明されたのはパチリ

2019年4月20日(土)

第7回は大宜味村田港・屋古へ

 田港は田港の字誌の原稿をお願いされているのでその下調べ。大宜味間切(現在大宜味村)の歴史をみていく上で重要なところである。1673年に国頭間切を分割した時、田港間切となり番所が置かれた地である。後に大宜味村を新設し、そこに番所を移し大宜味間切と改称。それだけでなく北山の歴史と関わる地でもある。大宜味の歴史を描くのに興味深い地でもある。隣の屋古とは一つであったことも。隣の大保は田港村の地であったことも。 

・田港―田港間切創設時の番所があったムラ

 1673年に国頭間切と羽地間切の村の一部で田港間切が創設される。後に大宜味間切と改称(1682年頃)される。田港間切創設当時、同間切の番所は田港村に置かれたとみられる。大宜味間切の番所は田港村→大宜味村→塩屋村→字大宜味へ移っている。

   ・1731年には大宜味村にある。

    (1695年頃に田港間切から大宜味間切に改称された時に番所を田港村から大宜味村へ移動したか)

   ・1760年には塩屋村番所を大宜味村から塩屋村へ移転している)

   ・1925年(大正14)字大宜味に役場を新築し落成する。
  ・田港の御嶽/イビナー(イビの庭)(お宮)/お宮の中の香炉/
   田港の集落/田港の神アサギ/田港ヌルドゥンチ跡

       (神人が乗る籠:三カ所にあった。最近は一ヶ所)

   ・ウンガミの時、ハーリーが行われる塩屋が眺められる位置にある。

・屋古―塩屋での海神祭を行う 

  屋古は田港に隣接し、塩屋湾に面したムラである。田港ノロ管轄のムラの一つ。塩屋のウンガミ(海神祭)に参加するムラの一つである。屋古の神アサギの側に海神祭に使われるハーリーを納める小屋がある。集落の上の方に神アサギがある。旧盆明けの初の亥の日に行われるウンガミ。田港・屋古・塩屋、白浜(渡野喜屋)の神人が行う。


   


2019年4月14日(

 第6回 上運天→運天へ


 ワルミ海峡と上空からみた運天集落。一枚の写真を手がかりに運天番所の石垣を護岸にしたという話の確認。運天のムラウチ集落内の神アサギ・井戸・フプガー・トンネル・鍛冶屋のガマ・防空壕など。上運天のワルミ海峡の潜航艇の隠し場の確認(天気が悪く近くまでいけず)。

 
      ▲ヨシコトガー(勢理客)         ▲インガガー(勢理客)

 
    ▲ワルミ海峡(上運天)                    ▲井戸(カー)

2019年4月7日(

 第5回
 午前中に参加、その後本部町渡久地の神アサギ(拝殿)と神殿をみる。神アサギに御神酒を入れるポリ容器(二個)と綱引きの棒(タモト木)を確認する。神社の建立は昭和八年と刻まれている。渡久地は本部間切の番所があった村。

 渡久地から崎本部の塩川へ。崎本部は崎浜と本部の村で崎本部。二つの村の合併。今でも神アサギが二ヶ所にあり合併の痕跡をかろうじて遺している。

 塩川は塩分を含んだ内陸部の湧泉である。塩川の水をなめさせたら「辛くないよ」と。帰ってから海水・塩川の水・水をなめさせ確認させる。最初に答えた「辛くないよ」は、潮水をなめさせても「辛くないよ」と。

 
   ▲持ち寄っての供え物(ご馳走)       ▲墓に向かってウートートゥ

  
 ▲本部町渡久地の神アサギ(拝殿)       ▲神殿       ▲渡久地神社改築記念碑

 
   ▲神アサギ内部のタモト木      ▲参加者に配られる御神酒を入れる容器

 
 (塩川の画像取り忘れ)


2019年4月6(土)

 第4回
シーミー(清明祭)に。家族ばかりなので年相応に戻っています。祭祀行事の料理の調査ものがありパチリ。
 墓の清掃と墓でのお重の供えをする。遠距離からなので、それぞれ墓参りをし、我が家(寡黙庵)に集まる。
その方法は一般的ではない。墓でのまつりは、遠距離からの集合、暑さ、降雨などの事情で、それぞれで墓参。「むら・しま講座」の主人公は、シーミーより食べるのに夢中。寡黙版庵、普段は仕事場。

 
 

2019年3月31日(

 第3回目
の「ムラ・シマ講座」、午前9時から2時まで。少しハードなスケジュール。仕事の軸を今帰仁村に移すのでお礼の挨拶をかねて。
  ・大宜味村田港(屋根の修復中?)
  ・大宜味村屋古
  ・塩屋湾の見渡せる六田原展望台へ(大保:途中アカマターと出会う。タイホ(逮捕)されるの?)
  ・猪を見に(姿みえず、嘘つき)
  ・道を迷って大保ダムへ(ぶながや舘の資料、昭和34年台風での土砂崩れ死者38名)
   オキナワウラジロガシの大木の切り株
  ・道を迷いながら出たのは饒波。(グラは芭蕉の芯:饒波のオバーから教わる)
  ・喜如嘉→謝名城は素通り。改めて立ち寄る。
  ・田嘉里へ
    ・屋嘉比川へ(竹の新芽(グラ)の出具合は?)五月にグラ祭りがあるとのこと(協力依頼あり)。
    ・屋嘉比の神アサギ・山口の拝所、ウタキへ。
    ・屋嘉比ノロ殿内へ(これまでの資料拝見のお礼と神衣装の写真撮影のお願いへ
        (留守で改めて伺うことに) 

 
▲田港の神アサギ(屋根修復中)   ▲六田原展望台から塩屋湾   ▲遭難救助作業(昭和34年)(村史提供)

  
   ▲屋嘉比神アサギ          ▲山口の拝所(内部)           ▲ウントーウガミ(イビ) 

2019年3月30日(土)

 第2回目の地域めぐりへ。春休みとなり、お泊まり。「講座へ行く?」「うん、いくよ」

 名護市屋部へ。屋部の古い墓のあるぷーみちゃへ。かつて一帯は湿地帯で小さな森が湿地滞に浮かんでいるように見えたところ。そこから4月に転校するので学んだ幼稚園と小学校へ。頭はすでに転校する学校のことでいっぱいのようだ。

 まだ、字が書けないので報告の練習。三年生の姉が「知っている、見たことあるよ」と言葉をはさまむと黙ってしまうので、しばらく一人講座。「しゃしん、おもしろいね」と。

  
       ▲ぷうみちゃにある古い墓                           ▲拝所 ぶうみちゃ

  
  ▲友達がかよう幼稚園     ▲旧家の久護家へ     ▲屋部の神アサギを見つけて一目散

  
 ▲公民館前の「八月踊りの碑」    ▲「八月踊り」みたいなと      ▲拝所をみつけてパチリ


2019年3月24(

 第1回ムラ・シマ講座。名護市の親川・仲尾から。

 ・羽地(親川)グスク
 ・神アサギ
 ・仲尾古村遺跡
 ・仲尾ノロ殿地とオジギソウ
 ・仲尾神アサギ
 ・仲尾トンネル(大正8年開通)
 ・仲尾公民舘(仲尾馬場跡・ブリグラ跡)
その後は古宇利島へ。今日の収穫は大きなシマダコでした。ルビがふらている案内版を見つけて読んで得意げ。帰ってきて編集発表まで。上手にできました。来週も行く? 行く行く!

  デジカメの使い方に慣れるためモデルは?

  (ボーとしているとチコちゃんに怒られるよ!)

  
  ▲羽地(親川)グスク  ▲かなをみつけてパチリ  ▲鳥居をくぐってノロ殿地跡へ

  
▲オジギソウを見つけてパチリ    ▲トンネル名に向けて  ▲馬場跡???

 
  ▲行ったムラの記録           ▲タコの足何本?手は?