ヨリサゲ(調査報告)(2009.12.16) トップ(もくじ)へ
(名護市仲尾次)(旧羽地)
玉城 菜美路(やんばる学会員)
ヨリサゲは・・・
ヨリサゲは他でいう「神下がり」や「あらたもと」と同様の祭祀と思われる。新たな神人の誕生や退く神人の報告を行なう祭祀とされる。ヨリサゲは「世下がり」で神人の座を退くという意味と考えられる。
今回は神人の松田ナベさん(97歳、旧姓津波で仲尾次生)が亡くなり三回忌を終え、神人を退く事の報告を松田ナベさん家族と仲尾次の神人・松田花子さんと共に各拝所を廻り行なった。
松田ナベさんは20代の頃から足が動くまで神人を務めた。神人にはくじ引きで決まり就任したとのことである。
2007年6月、97歳で亡くなる。三回忌を終えてからヨリサゲという祭祀を行なうことになっているという。調査する機会があったので流れに沿って(廻った順)報告としてまとめてみた。
←廻った径路図
※ヨリサゲで廻った場所
①真喜屋ノロ殿内
②根神屋
③大親屋(アポーフヤ)
④神アサギ
⑤ムクジガー
⑥ウイグスク(下)
⑦ナカグスク(上)
⑧黄金森(クガニムイ)のカー拝み
⑨九年川一門之家(くにがー)
⑩松田家の火の神
⑪松田家の仏壇
①真喜屋ノロ殿内
時間に間に合わず同行はできなったが、まず真喜屋のノロ殿内へいき報告を行なうことになっているという。かならずここからスタートとなるとのこと。
②根神屋
根神屋での御願。御願のために公民館からカギを御借りしていた。神人の松田花子さんは神衣装は着ず参加。供物にはお酒と花米、お線香に火をつけ手を合わせる。傍らにメモがあり、そこには「松田ナベ(亥の人)(鉄信の妻) 命日2007年6月13日97才」とあり、神人さんがこのメモを読み上げ御願されていた。御願を終えると花米を3回手にとり、また戻し、お酒を小量香炉にかけ、まだ火のついているお線香をアルミホイルにつつみ「根神屋」とメモをかきゴムでしばる。各拝所のお線香はこのようにして持ち帰る。
▲根神屋 ▲根神屋内での御願
③大親屋(アポーフヤ)
お酒と花米は新に足して根神屋同様に御願を行なう。こちらでもまだ火のついているお線香をアルミホイルにつつみ「大親屋」とメモをかきゴムでしばる。
▲大親屋
▲大親屋内での御願。香炉2つ
④神アサギ
神人の花子さんが神アサギ内での座る位置を教えてくれた。「ナベさんは香炉に向って一番右側に座っていて、私はそのずっと後ろ。まだ新人だったからね。」と、教えて下さった。お酒と花米は新に足して御願を行なう。
▲仲尾次の神アサギ ▲神アサギでの御願
⑤ムクジガー
神アサギなどの拝所が集まる所の裏手にあるカー。五月ウマチーの時に御願する場所でもあるとのこと。お酒と花米は新に足しての御願は同様だが、ここではお線香に火をつけず、ここのお線香も持ち帰る。
▲ムクジガー ▲後ろにはコンクリートで固めた川が流れる
グスクへ・・・
ウイグスクは羽地中学校の裏にある高台である。急な階段も神人の花子さんはゆっくり登って御願をしてくれた。登る途中にある小さなカーの跡は、かつての仲尾次の人が移り住み最初に飲んだ水といわれている。仲尾次はウイグスクから移動したとのことである。
▲グスクへと登る階段
▲途中にあるカーの跡
⑥ウイグスク(下)
石が積まれた拝所で御願を行なう。急斜面になっており、座るのもままならない場所であった。
▲ウイグスク
▲ウイグスクでの御願の様子
⑦ナカグスク(上)
ウイグスクよりまたさらに足場が悪い中、上へと登る。ウイグスクから上には階段は無い。ここも石が積まれた拝所になっている。
▲ナカグスク ▲ナカグスクでの御願の様子
▲火のついたお線香をアルミに包み、持ち帰る。
⑧黄金森(クガニムイ)のカー拝み
黄金森(クガニムイ)のカーにはいこいの村(名護サーキット場)のところを通って入っていく。ここでもお線香に火をつけず。ここには香炉が置いてあるだけであった。
▲途中までしか車で行けない ▲茂みの中へと入っていく
▲香炉のみが置かれており、カーの跡は残っていない
⑨九年川一門之家(クニガー)
ここは門中の拝所とのことで、神人の花子さんは外で待機し、松田ナベさんの家族が御願を行なう。香炉がいくつもある場合は、火の神から先に拝むと神人さんがおっしゃっていた。神人さんはここまでで、帰られた。
▲九年川一門の旧家 ▲旧家内の図像(千手観音) ▲この他に位牌などがある
⑩松田家の火の神
松田ナベさん宅へ。まず松田家の火の神へお線香をつけ手を合わせる。
⑪松田家の仏壇
廻ってきた順に持ち帰ったお線香を仏壇の香炉へたて、「真喜屋ノロ殿内のお線香です。」などと、ひとつづつ報告しながら手を合わせる。
▲「真喜屋のヌルヤー」のお線香 ▲花米とビンシーを仏壇へ
▲「松田ナベ(亥の人) ▲仏壇へ報告御願
(鉄信の妻)命日2007年6月13日
97才」
―メモー
仲尾次では御嶽を「ウフビラ」と呼んでいる。ウフビラは小字大平原(アポビラ)にあることに因んだ呼び方と見られる。羽地のサンタキ(山岳)一番高い山の意味で、羽地の数えウタにも“ウフの高さや”とあるようだ。