今帰仁村与那嶺                      トップへ

 ・仲宗根政善先生

2005.06.10(金)

 与那嶺は私の座っている斜め上に掲げてある故仲宗根政善先生の生誕地である。この時期になると、戦争をテーマにした催し物が各地で行なわれる。ある学校から「沖縄戦に関する資料を貸して欲しい」とあったが断った。単なる資料貸しをする資料館ではないのである。形だけの資料貸しはダメなのである。少なくとも一、二ヶ月前から準備が必要である。一過性のイベントにならないためにも。故仲宗根先生の視線がいつも注がれているからでもある。

 口癖のように言い続けてきたのは「何故あなたは今ここに人間として存在するのですか?」である。「戦争の時、あなたのおじいさん、おばあさんはどこにいたのですか」 そこから自分自身が戦争と深く関わっていることに気づかせている。テレビを見る側ではなくてである。

 仲宗根先生の生誕地である与那嶺を「ムラ・シマ講座」で訪ねることは、ぜひ参加者に伝えて欲しいとの先生の声なのだろう。無意識に先生の『石に刻む』を手に悔し涙を流している自分がいる。先生のメッセージのいくつかを先生の屋敷の見える与那嶺の公民館前の大きな赤木の下で伝える義務がある。そんな気がしてならない(無意識にそのコースを計画していた。いつものコースとは逆である)。

  @ユナンガー(与那嶺井)
  Aヤシダガー(安田井)
  Bユナミナガハマ(与那嶺長浜)
  C与那嶺の神ハサギ
  D与那嶺の老木の赤木

 北山高校での講演「生命の尊厳と神秘」(『石に刻む』所収)の結びで、仲宗根先生は次のようにように結んでおられます(1967年か)。

   この美しい今帰仁の青山の木かげにも今度の戦争で命を失った人々がいくらもいるのであり、
   沖縄全島至るところの巌かげに、また山のこかげに深くうもれて、戦争でなくなった人々がいる
   のであります。皆様は幸にしてこの戦争にあいませんでした。本当に仕合だと思います。沖縄の山野
   に散った人命は、二○余万人であります。彼等は無言のさけびをつづけているのであります。この
   声なき声をしっかりと聞きとって生きて行くということがもっとも肝要であります。
    生き残っている我々が、戦争にあわなかった皆さんに、是非とも伝えなければならないのは
  このことであって、あえてここに皆様に訴えようとするのも、彼等の無言の声が私にはっきりきこ
  えるからであります。私は彼等の声を生き残りの一人として皆様に御伝えする義務を感じます。



   ▲故仲宗根先生の遺影(歴文)             ▲与那嶺の神ハサギとナー(庭)


     ▲ユナンガーの様子                  ▲ヤシダガー(安田井)


    ▲ユナミナガハマ(与那嶺長浜)           ▲長浜にある半洞窟(倉庫に利用)


 
    ▲与那嶺の神ハサギ                  ▲公民館前の大きな赤木