名護市久志域大浦                    トップヘ



【名護市大浦をゆく】2005.02.23(水)メモ

 名護市東江から山越えで東海岸にでる。大浦川を下ると左岸に大浦の集落がある。大浦は1673年以前は名護間切の村(ムラ)、それ以降久志間切の村となり、久志村の字となる。現在は名護市大浦である。

 名護市から出された「民俗地図」を見ていると渡し場やワタシヤー、ウフラナートゥ(大浦港)などの地名がある。大浦川の中流部にタムンザ(薪の集積場)がある。そこから伝馬船で下流域に碇泊している山原船に積み込んだ様子がうかがえる。山手の大川では藍づくりが盛んだった時期があり、大浦のナートゥから積み出したという。薪や竹茅、炭などが主な集荷物であった。

 大浦の集落南側のメーガー付近に稲倉が群をなしてあったという。稲倉を持っていたのはウェーキンチュ(富豪)と呼ばれる人たちで、サンゴ石灰岩を積み上げた屋敷囲いの家は、かつてのウェーキンチュの屋敷にちがいない。水田は大浦川沿いに広がり集落の後方の山手は段々畑であった。

 大浦の神アサギは、山裾から移動している。