大宜味間切の杣山調査

                                 沖縄の地域調査(もくじ)



 「山原大宜味間切の杣山」について調べたことがある。その時、「定期巡回の他に大風のあった翌日にはそれぞれの管内の山林、猪垣の被害」や押川から根路銘・大宜味の猪垣 にいての記事をみる。


2016312日(土)

 杣山についての問合せ。山に関しての知識はもっていないので少し勉強。
 文書まで読み通してみる時間がないので、『大宜味村史』(70頁)から基礎知識を。明日は大宜味村の山手を踏査してみるか。以下の情報を手にするといかざるえません(晴れてくれたら)。

【杣山の指導・監督】
 王府の最高責任者は総山奉行、その下に国頭方山奉行が三名現地に派遣されていた。一人は加増奉行として国頭間切浜村の詰所に常駐し、大宜味間切と国頭間切の山林行政の指導にあたった。更に、間切には王府の役人として山筆者(廃藩置県後は山方筆者)が配置され大宜味村に詰所をおいて、直接指導監督にあたった。
 間切役人としては三名の総山当が任命され、間切の山林行政の全般的な取締りに当り、村には二名の山当が配置され、山工人、山師などを指揮し、山林の保護管理に当った。

 山奉行は、年二回春秋の原山勝負の時に間切内の杣山をくまなく巡回し、その成績を王府へ報告した。山筆者は月五回、総山当、村山当をひきつれ間切中の山林を巡回し、指導管理にあたった。更に地頭代、下知役、検者など間切行政の最高スタッフも毎月一回巡視を義務づけられていた。それらの役々は定期巡回の他に大風のあった翌日にはそれぞれの管内の山林、猪垣の被害状況をつぶさに調査し対策を講ずることが義務づけられていた。

【間切の杣山の種類】
 蔡温時代における大宜味間切の杣山の面積は、四千二百町九反で、国頭・久志間切についで三番目に広い面積をもつ間切であった。間切の杣山は山方切と呼ばれる区分方法で、各村に分割し管理させた。大宜味間切の山切は以下の七つに区分されていた。
  第一区 津波
  第二区 塩屋・田港・屋古前田・渡野喜屋
  第三区 根路銘
  第四区 大宜味・饒波
  第五区 喜如嘉
  第六区 一名代・根謝銘・城
  第七区 見里・親田・屋嘉比

 間切・村の杣山は、一般に仕立敷、仕立換山、籔山、中山の四種類からなっていた。
 仕立敷とは、王府の指示により建築材及び造船材に適する良材を仕立てる目的で設定された造林地のことである。敷地の選定・仕立の方法・管理の仕方まで厳しい規定のもとで行われた。仕立の対象樹木は、杦・杉・カシ・イク・ユシ木・チャーギ・桐・楠・センダンなどであった。
 仕立敷は間切で管理するものと村で管理するものがあった。いずれも、村百姓の15歳から50歳までの男子に現夫を賦課した。なお、人夫加勢と称して居住人にも現夫が割当られる場合があった。

【大宜味間切の主な仕立】

楠敷
 押川から根路銘・大宜味の猪垣の内側で仕立られ沖縄最大の楠敷の美林があった。山奉行所公事帳に、大宜味間切根謝銘村並木相国寺には、当分実付候楠之有り、九、十月之頃、熟仕候間山奉行者にて、近間切之山当登らせ取調各間切配分をもって仕立方申すべきこと、とあり、十八世紀半ば頃から楠敷の仕立が始まったものと見られる。

杉敷
 押川は間切が最も力をいれた仕立敷で、二かかえ三かかえもある杉の大木があり、杉敷としては沖縄最大の規模をほこっていた。明治になって押川開墾が行われた際に、伐採が許可され学校建材・公共施設の用材としてことごとく切りdっだされてしまった。

胡桃敷 
 根路銘村の湧地山に仕立られ、明治の中頃迄管理されていたが、漸次伐採された。実は間切から御殿・殿内への上納物として重宝がられてた。
 1876年(光緒2)の「胡桃敷本数改帳」によると、胡桃敷は以下の通り。
   根路銘村湧地原
  一、胡桃敷 三百二十坪
     本数 27本(根廻一尺~六尺)
  一、胡桃敷四百四十坪
     本数37本(根廻一尺~八尺四寸)
    光緒二年丙子閏五月

樫敷
 喜如嘉村遠山に仕立られ、太平洋戦争まで樫の大木が生い茂り大切に管理sれていたが、戦後の開墾によって姿を消した。山奉行所規模帳に、樫木の儀国頭間切安田・安波、大宜味間切内喜如嘉、久志間切内川田、右の村の山には所々に相見得とあり、蔡温時代から仕立敷として重視されいたことがわかる。大宜味間切の津波山にも樫敷があった。

 大宜味間切特有の山に中山がある。その性格は他の間切の里山・村山というものに類似している。中山は一般に松敷・竹敷などからなり、各村の仕立山の一種として保護管理されてきた。大宜味間切でとくに中山が設置された理由は、間切の地形に起因しているとみられる。村からすうぐ急勾配の山がせりあがっており、登りつめた先がやや平坦の台地状をなし、猪垣の築かれた開墾地へと続き、いわゆる村と開墾地の間の山林を中山と称している。中山は松や桧(ひのき)や竹など有用な樹木を仕立る目的の地に山くずれを防ぎ、貯水涵養林、開墾地を守る暴風林の役目を果たしており、近世にいたるまで自由な伐採を許さず、村内法をもとできびしく保護管理されていた。
 

2016年3月8日(水)

【地租徴収の手続き】
 地租徴収の手続きは、先ず県丁に於いて、その間切何年度分幾何と定め、これを役所長に達し、役所長は更に間切即ち地頭代に対して令書を発し、地頭代は令所にヨリ、更に掟に対して伝書を発し、掟は地割の帳簿等により、各戸の納額を定め、これを人民に分賦するものとす。

 租税は組頭これを取纒めて掟に納め、掟よりこれを地頭代に納むるものとす。地頭代は一間切の税額を取り纏め金庫へ納付す。そお現品に係るものは先これを村屋に集め、掟耕作当等付き添い県丁に送付するものとす。


 税の徴収に村掟は重要な役割を果たしていることがわかる。『琉球国由来記』(1713年)の今帰仁間切の役職は、
   ・地頭代(湧川大屋子)→古宇利親雲上へ(1750年頃か)

   ・夫地頭 志慶真大屋子/奥間大屋子/郡大屋子/兼次代屋子/諸喜田大屋子
   ・首里大屋子
   ・大掟 ・南風掟 ・西掟 
   ・郡掟 ・運天掟 ・上運天掟 ・玉城掟 ・中宗根掟 ・平田掟 ・中尾次掟 ・平敷掟 
   ・与那嶺掟 ・今帰仁掟

 今帰仁間切の場合、1735年頃地頭代は湧川大屋子からは古宇利親雲上となる。位牌に古宇利大屋子とある場合は、その家から地頭代まで勤めた人物がいたということである。

 大宜味間切

   ・地頭代 (前田大屋子)→山川親雲上へ(乾隆24年:1759)には山川親雲上)
  ・夫地頭 平良大屋子/川田大屋子(この夫地頭は久志間切へ)
  ・首里大屋子
  ・大掟 ・南風掟 ・西掟 
  ・塩屋掟 ・川田掟 ・喜如嘉掟 ・津波掟 ・福地掟 ・根謝銘掟 ・大宜味掟

【大宜味間切の掟と担当村】
 ・津波掟(津波村・宮城)
 ・塩屋掟(塩屋村・田港村・渡野喜屋)
 ・根路銘掟(根路銘村)
 ・大宜味掟(大宜味村)(大兼久含む)
 ・喜如嘉掟(喜如嘉村・一名代村)
 ・屋嘉比掟(屋嘉比村・見里村)
 ・前田夫地頭(屋古前田村)
 ・饒波夫地頭(饒波村)
 ・親田夫地頭(親田村)
 ・根謝銘掟(福地掟)(根謝銘・城)
 
(『琉球国由来記』(1713年)では、地頭代は前田大屋子、夫地頭は平良大屋子・川田大屋子(地頭代含めて三員)であったが、その後地頭代は山川親雲上、夫地頭は前田、饒波、親田親雲上へ変更されている。平良村と川田村が久志間切に編入されるのが康熙58年(1719)なので、川田と平良の両村が大宜味間切から消えるので両村の夫地頭は大宜味間切の村名に変更したと見られる)。

 田港間切の創設は1673
 田港間切から大宜味間切への改称、大宜味のマクから村へ、番所は田港村から大宜味村へ。その年は?

 大宜味村の某家の位牌に、
  嘉慶六年 前田大屋子 とあるのは、その人物は前田大屋子、夫地頭まで勤めた人物であることがわかる。もう一枚は大宜味村大宜味のN屋の位牌であるが、山川親雲上あり、手元の資料をみると、大宜味間切の地頭代は山川親雲上に変わっている。Nの位牌に山川親雲上が二人いて、二人の地頭代をだした家ということになる。同家の竹櫃に「大宜味村西掟・・・・仁屋」とあるが、それは位牌ではないので西掟の辞令書を納めたものにちがいない。
  

201637日(火)

 明治6年の「琉球藩管内物産表」である。「表中物品名ノ内言語ノ異ナル所ヨリ文字或は仮名遣ヒトモソノ品物ヲ解シカタキ名有之候得共数種之調査難行届依テ先ツ藩ヨリ調出ス原書之侭ヲ誌ス」とある。当時も特定するに困難だった様子が伺える。古文書の中で、産物名が出て来るので、特定しがたいのもあるが、まずは掲げてみる。

 「琉球国(藩)」の物産
 ・米 ・麦
【雑穀類】
 ・粟 ・下大豆 ・本大豆 ・白大豆 ・小豆 ・青豆 ・唐豆 ・インロウ豆 ・篇豆 ・菜種 ・胡麻 ・真黍 ・黍

【菜蔬類】
 ・唐芋 ・大根 ・黄大根 ・牛蒡 ・カヤ芋 ・山芋 ・田芋 ・くわい ・蕪(かぶ) ・蓮根 ・ハジカミ ・しつ
 ・薤(ニラ) ・志めじ ・松露(ショウロウ:キノコ一種) ・ほうれん草 ・唐菜 ・紫蘇 ・春菊  
 ・あかさ(観葉植物?) ・寒山菜 ・仙本 ・ウン菜 ・ウイキョウウ ・にら ・はんたま ・ひいな ・ふき
 ・味噌菜 ・唐もし ・クハン采 ・川芹 ・田もし ・木瓜 ・西瓜 ・冬瓜 ・春瓜 ・糸瓜 ・にか瓜 ・なん瓜
 ・きん瓜 ・つふる ・タチワキ ・フウロウ ・茄子 ・木ノ子 ・落地生 ・防風 ・ミミソリ

【家畜野獣】
 ・ ・牛 ・馬 ・羊 ・鶏

【魚介】
 ・白魚 ・めばる ・まくう ・たまん ・くつなき ・かたかす ・しつう ・くまひき ・ゐの魚 ・それか ・つくら
 ・ふか ・永良部蘇 ・海馬 ・海鼠 ・いか ・たく(タコ) ・こばしみ ・小えび ・屋久貝 ・あさかい ・あばす
 ・かまんた ・亀 ・さゑ ・けとん ・紅かひ ・白かひ ・あしかみ ・てらさ ・高尻 ・蛤(はまぐり)

【果実類】
 ・九年母 ・荔枝(れいし) ・龍眼 ・柿 ・里桃 ・山桃 ・芭蕉実 ・蕃拓榴 
 ・桑 ・楮(こうぞ) ・櫨実 ・
 ・麻 ・芭蕉芋 ・藍 ・紅花 ・木綿 ・烟草

【材木類】
 ・杉 ・樫 ・いく ・松 ・いちやう ・椎 ・きす ・木+去 ・ともん ・ざふん ・とそん ・秋木 ・山里木
 ・黒ほう ・わふん ・志わまけ ・楠 ・せんだん

【薬品】(薬草など)(70ほどある)

【海草類】
 ・海人草 ・ミル ・すのり ・ふのり ・ツノマタ ・

【織物】

【芭蕉布】

【泡盛】

【塩】

【油】
 ・菜種油 ・胡麻油 ・桐油 ・カタシ油 ・柴油 ・永良部油 ・ほか油 

【紙類】
 ・百田紙 ・芭蕉紙 ・藁唐紙

【蝋燭】

【炭薪】

 (工事中)

2016年3月4日(金)

 旧藩時代の「各部署」にどのような品目が納められていたのかの確認。税が米や大豆や黒砂糖など物納の時代、琉球藩(それ以前)の役所によって納品が異なっている(『沖縄県史』13 沖縄県関係各省公文書 2』より。その品目で、今では消えてしまったもの、食卓にあがってこないものや想定しがたいものがあり、一点一点確認する必要がありそうだ。

「米蔵役」

「仕上世座役」

「料理座役」の収得品目

米・米余勢・餅米・餅米余勢・麦・麦余勢・下大豆・下大豆余勢・白胡麻・白胡麻勢・黒胡麻・黒胡麻勢・
けし・からし・太白砂糖・氷砂糖・唐白砂糖・桔餅・琉白砂糖・散砂糖・布越黒砂糖・生白魚・生いか・干塩魚
・干いか・豚肉・玉子・萩・青唐九年母・芭蕉実・けどん・庭鳥・あひる・木ノ子・ミミギリ・塩舞葺・塩松茸
・岩茸・青板昆布・川茸・水前寺ぬり・五島ぬり・三島ぬり・かつう・諸白・蓮根・小菜・石うれん采・牛房・大根
・冬・干蕪・干大根・炭・薪木

「大台所役」の習得品目品目
 ・米・米余勢・餅米・餅米余勢・下大豆・下大豆余勢・麦・麦余勢・本大根・本大根余勢・・白胡麻・白胡麻余勢
 ・黒胡麻・黒胡麻余勢・明松・薪木・炭・木ノ子・みみくり・白菜・冬瓜・干塩魚・生魚・散砂糖・黒砂糖

「普請奉行役」

「銭蔵役」

「鍛冶奉行所役
 ・千割鉄 ・竿銅 ・錫 ・鉛 ・金薄 ・鍋地金 ・松屋祢 ・軽石 ・鍛冶炭 ・米 ・銅

「瓦奉行役」
 ・米・銅銭・大薪木・割薪・地久葉ノ葉・とま・真竹・黒小縄

「貝摺奉行所役」
 ・米 ・銅鉄 ・渋 ・明松灰墨 ・八重山白中布 ・粉朱 ・漆 ・金薄 ・銀薄 ・江ノ買入

「小細工奉行役
 ・米 ・銅鉄 ・渋 ・勝わら ・わら小縄 ・下芭蕉寄糸 ・五寸回ル唐竹 ・大半紙 ・麦ノ粉 ・渋 ・棕櫚美簾縄 
 ・大半紙 ・麦の粉 ・渋 

「砂糖座」

「船手蔵


「仕上世座」

2016年33日(木)

 ムラの納税や祭祀を扱う場合、祭祀は今で言う国(クニ)が定めた公休日(神遊び)である。かつては旧暦で行われていた。祭祀に関しては今でもほとんど旧暦で行われている。『耕作下知方並諸物作節附帳』から当時の作物(稲・きび・しゅら苗・田いも・さつまいも・冬瓜・青瓜・きゅうり・へちま・綿・粟・しょうが・大豆)などの作物が栽培されている。以下に掲げた作物や山林木など、さらに輸出品や輸入品をを頭に描きながら山原のムラ・シマを見ていく必要がありそうだ。

 その他に主要なる作物に砂糖・甘藷・米・山藍・葉煙草・芭蕉苧・芭蕉布・麦・大豆・豌豆(えんどう)・粟蜀・黍・麻苧・などがある(一部だぶりあり)。牛蒡・椎茸・茶樹

 山林
  ・樫 ・椎 ・イーャ ・赤木 ・タブ ・伊集 ・槙(まき)  以下造林(明治42年以降) ・樟 ・松 ・杉
  ・相思樹 ・槙(まき) ・棟  ・木麻黄 (樟脳・樟油・桐油) (パナマ・木綿織物・芭蕉布・畳表など) 

【山原からの輸出品】(大正4年度)
  ・砂糖 ・米 ・泥藍 ・紙帽子 ・薪炭材 ・かつお節 ・豚 ・牛 ・芭蕉布 ・山原竹 ・芭蕉実 ・煙草
  ・木炭 ・用材 ・アダン葉原料 ・苧麻 ・貝類 ・小豆及び緑豆

【輸入】(大正4年度) 
  ・泡盛 ・白米 ・煙草 ・石油 ・大豆 ・木綿布 ・板類 ・衣類 ・木綿糸 ・素麺 ・醤油 ・肥料
  ・茶 ・昆布 ・木材 ・陶器 ・種子油 ・食料 ・雑品
 

  道光二十年(和暦 天保十一年)
   耕作下知方並諸物作節附帳          大宜味間切
            地頭代 山川親雲上
            総耕作当 山川親雲上 前田親雲上 宮城築登之


 目 次
  一、農事一般

  二、 居年の播種期と農具の準備
  三、 毎月の農事ごよみ
  四、 あとがき

 毎月の一日に村々の地頭、掟、耕作当が番所へ集まるさいに申し渡す農事の方法に関する項目を次に記す

一、農事一般
 田畑については、いくら耕しても肥料を使わなければ収量が少ないことは誰でも知っている。
  肥料を調達するには、よくよく念を入れなさい。

 肥料は、牛馬や羊を屋敷内で飼わなければ思うように確保できないものである。したがって、
  以前からたびたび申し渡された通知を確実に守らなければならない。

 農民は、毎日の野良仕事から帰るとき、牛馬、山羊用の草、かや、すすきの類、木の小枝などを
  運ばなければならない。かや、すすきは、台所近くの庭から豚小屋の前まで広げておいて踏みつけ、
  雨の降るときにはぬらさないようにがつのところに取りこんでおく。腐ってきたら豚小屋に入れ、豚
  に踏ませたのち肥料小屋に積んで貯えておき、使用すること。

 田ごしらえのとき、あぜ草は鎌で刈り取ること。鍬を使うとあぜをくずしてしまうのでかたく禁止する。
 大雨が降って田畑、河川、道路に被害があったときは、すぐさま組の者たちで補修すべきである。
   もし被害が大きく、組の者たちだけで修理できない場合には、惣耕作当まで申し出て、検者、地頭代
   の検査を受けたうえで人夫の増員を願い出ること

 堤防の保全には十分念を入れること。

二、稲の播種期と農具の準備
 屋嘉比、親田、見里、城、根謝銘、一名代、喜如嘉、饒波、大宜味、根路銘の十か村では
  八月の秋分から五十五、六日たったら稲の種子を播きなさい塩屋、屋古前田、田港、渡野喜屋
  津波の五か村では、、同じく六十五、六日目に播種すること

 鍬、鎌、へら(漢字)、おの、やまがたな、ざる、竹かご、もっこ、蓑笠

 これらの農具は農民には絶対に欠かせないもので、ない場合には山仕事のさい困ることになる。一月と七月の二度、地頭、掟、惣耕作当が検査し、その状態を検者と地頭代まで報告すること。


三、一月の農事ごよみ

一  月
念入りに田ごしらえをする。
田植えの適期は場所によって違うので、いつごろから行ったらよいか、相談すること。
きびを播く。
山の新開地にを播く。
黒かじを挿す。
しゅろ苗を植えつける。
田いもを植えつける。
さつまいものつるを植えつける。
さつまいもの種いもを伏せこむ。
とうがん、青瓜、きゅうり、へちまの播種をする。

二  月
田植えをする。
畑を耕起、整地しておき、雨が降って土がうるおいしだい、さつまいものつるを植えつける。
綿を植えつける。
しょうがを植えつける。
さつまいもの種いもを伏せこむ。
そてつの種子を植えつける。

三  月
畑を耕起、整地しておき、雨が降って土がうるおいしだい、さつまいもや各種の作物を植えつける。
大豆の播種をする。
あずきの播種をする。
粟畑の除草をする。
稲の播種をする。
平地のさつまいも畑の除草と施肥をする。

四  月
山の新開地の地ごしらえをし、さつまいものつるを植えつける。
の除草をする。
粟畑の除草をする。
綿畑の除草をする。

五  月
畑を耕起、整地し、さつまいものつるを植えつける。
の除草をする。
畑の除草をする
綿畑の除草をする。
大豆畑の除草をする。
さつまいも畑の除草をする。
稲の作柄調査をする。

六  月
畑の耕起、整地をして、さつまいものつるを植えつける。
稲刈りをする。
秋作稲の播種をする。
薩摩への上納米について、調製も含めて村々で準備するよう申し渡す。
大豆畑の除草をする。
綿畑の除草をする。

七  月
苗代の耕起、地ごしらえをする。
さつまいものつるを植えつける。
秋作稲を植えつける。
さつまいも畑の除草をする。

八  月
大豆と小豆の収穫、調製が終りしだい、畑の耕起、整地をする。
さつまいものつるを植えつける。
田の荒起こしをする。

九  月
綿を移植する畑を耕起、整地する。

十  月
湿田の荒起こしをする。
二度目の田打ちをする。
稲の播種をする。
麦の播種をする。

十 一 月
山の新開畑を開墾する。

十 二 月
三度目の田打ちをする。
の播種をする。
山の新開畑を開墾する。

四、あとがき
 このたび、前記の数か条をかたく守るように村人に申し渡し、さらに田地御奉行様から示された条項をかたく守るように申し渡した。ついては、その結果を報告されるようお願いいたします。
  道光二十年(天保十一年)十一月                           さばくり一同
 惣耕作当一同               地頭代
 以上のように、村人に農事にはげみ怠りなく働くよう、かたく申し渡したことを報告します。
  道光二十年(天保十一年)十一月                            検者 下知役

以上の『農務帳』一冊と『耕作下知方並諸物作節附帳』一冊とは、農事の重要な規範でアあるから、おろそかにすべきではないが、大宜味では廃棄してしまったのだろうか、きちんと保管されていないので田地方のものを写して改めて下付した。ここに書かれているように、念を入れて耕作するよう申し渡しておく。一所懸命に耕作にはげみ、生活が安定するように常々申し聞かせてきたが、今回改めて申し渡すしだいである。以上
  道光二十一年(天保十二年)二月
    検者 屋嘉比筑登之親雲上                        下知役 仲吉筑登之親雲上
  地頭代  喜如嘉村 山川親雲上殿
  惣耕作当 同村   山川親雲上殿
  同右   塩屋村  前田親雲上殿
  同右   同村   宮城筑登之殿


【大宜味間切問答書】(明治17年頃か)

付届ノ事

一問 文子以上後(役か)上りの時地頭代以下役々へ付届並に盆暮当役々へ付届の定例如何

  答 役々相互に付届ケスル事ナシ

一問 文子以上地頭代マデ役上リの時々両惣地頭其他へ付届ノ定例如何

  答 地頭代以下役上リ時々付届ノ定例左ノ通り

   両惣地頭へ            地頭代例
     一 肴拾斤ツ如ツヽ     一 焼酎弐合瓶一対ツヽ

   両惣地頭摘子元服次第    同人へ
     一 肴弐斤ツヽ      一 焼酎壱合瓶壱対ツヽ
   両惣地頭惣聞へ
    一 肴弐斤ツヽ
 下知役検者へ
    一 肴壱斤ツヽ

 両惣地頭へ        夫地頭捌理壱人例并百姓位取ノ節同
      一 肴七斤ツヽ    一 焼酎弐合瓶壱対ツヽ
 
 右同嫡子元服次第同人へ
     一 肴弐斤ツヽ
 右同惣聞へ
     一 肴弐斤ツヽ
 下知役検者へ
  一 肴壱斤ツヽ

              掟壱人例並ニ百姓赤頭取リ節同
  両惣地頭へ
   一 肴五斤ツヽ     一 焼酎弐合瓶壱対ツヽ
 右同嫡子元服次第同人へ
   一 肴弐斤ツヽ     一 焼酎壱合瓶対ツヽ

 首里那覇両宿並下知役筆者へ 役上リ人数模合ニテ
   一 肴五斤ツヽ

 下ゴリ方ヘ筵チントシテ
  一 銭五貫文

評定所公事持ヘ
  一 銭五貫文

両惣地頭ヘ        大文子壱人例(但相付文子以下ハ例ナシ)
  一 肴壱斤五合ツヽ    一 焼酎壱合瓶壱対ツヽ

右同嫡子元服次第同人ヘ
   一 肴壱斤五合ツヽ   一 焼酎壱合瓶壱対ツヽ

  右同惣聞ヘ
   一 肴壱斤五合

一問 役々より両惣地頭其他へ盆暮等付届ノ定例如何
  答 盆暮等は役々より付届の例ナシ

一問 村又ハ間切ヨリ付届ノ定例如何
  答 左ノ通リ

盆上物例
  両惣地頭へ         間切ヨリ
    一 薪木拾束ツヽ      一 明松三束ツヽ
    一 白菜壱斤ツヽ      一 角俣壱斤ツヽ
    一 みみくり壱斤ツヽ    一 辛子壱升ツヽ
    一 玉子五拾甲ツヽ

脇地頭へ           村々ツヽ
    一 白菜半斤ツヽ       一 角俣半斤ツヽ
    一 ミヽクリ半斤ツヽ     一 辛子五合ツヽ

   歳暮上物例
     公義へ        間切ヨリ
  一 干猪肉拾八斤   一 壱斗八升

   聞得大君殿へ         間切ツヽ
  一 干猪肉壱斤    一 四斤四合五勺

   佐敷殿へ           間切ヨリ
  一 干猪肉壱斤     一 四斤四合五勺

両惣地頭へ          間切より
   一 壱斗弐升ツヽ    一 代々九年母弐拾粒ツヽ
   一 焼酎八合ツヽ     一 猪し拾八斤ツヽ
   一 銭弐百五拾文ツヽ

  右同嫡子嫡孫元服次第
   一 弐升ツヽ  一 肴五斤ツヽ

 脇地頭へ            村ヨリ
   一 五升ツヽ       一 焼酎弐合ツヽ
   一 代々九年母七拾粒ツヽ  一 肴七斤ツヽ

下知役検者並ニ首里宿へ   間切ヨリ
   一 弐升ツヽ       一 肴五斤ツヽ

下知役検者詰所へ
   一 九年母五拾粒ツヽ

筆者在番下知役筆者並に那覇宿へ
  一 壱升ツヽ  一 肴弐斤ツヽ

地頭代へ
  一 弐升    一 肴弐斤

捌理へ
  一 壱升つ   一 肴弐斤つ

勘定主取へ
  一 弐升

宰領人へ
   一 干塩肴五斤