名護市中山                    トップヘ

 ・昭和717(18?)年分区

【名護市中山】(2014年2月25日)

 名護市中山のウタキまでゆく。名護市中山は昭和17年に行政上、分区したものである。集落部分に「古山入端原」があり、そこは名護市山入端の故地である。現中山から屋部域に村が移転したのは1738年のことである。山入端村が移転した跡地に中山区が隣接する旭川とともに昭和17年に分区した。分区の際の住民は屋部・宮里・宇茂佐・山入端などの住民で構成されている。中山地区は、四区人々のハルヤー集落であった。

 昭和17年に元の山入端村のウタキを中山のお宮にしたという(昭和15年)。その2年後に分区している。興味深い事例である。ハルヤーの居住者のほとんどが、泊(那覇)からの士族(サムレー)のようである。移転した山入端は独自のウタキを造り、イベは故地(現中山のお宮)に向けてつくられている。

 『琉球国由来記』(1713年)における名護間切山入端村(山鐃覇村)のセキカネナカモリノ嶽と神アシアゲは現在の中山地内である(1736年に移転)。区内にミツドテ(三土堤)があり、そこは王府時代、名護間切役人が本部・今帰仁両間切の役人との受け渡し場所であった。

 新しい区であるが、お宮拝みとして、旧12月24日、旧1月3日、旧5月15日、旧8月10日、旧9月9日に行っている。9月には豊年祭が公民館で行われる。(神アサギはなし)

 
    ▲その森全体がウタキ            ▲100段余りの階段       ▲ウタキの頂上部にイベ(祠)