トップ(もくじ)へ

12回 やんばる学研究会発表原稿  会場 名護博物館 期日 2017年7月22日(土) 

                             発表者  宮城樹正

 テーマ  「やんばるのコンクリート遺構群―大正後期~昭和初期・中期)―
         (清村勉氏の「ぶつけ」技法、モルタル・ファンチの研究) 

 1879(明治12)年4月、琉球藩廃し沖縄県が設置された。それから10年が経過した1889(明治22)年2月、住居などに関する旧慣例の諸制限が解かれ、一般庶民への建築認可が大きく緩和された。建築事情も変化し、各地の茅葺き屋根が赤瓦葺き・漆喰塗りの住宅に建て替えられるようになる。さらに1894(明治27)年、公共建築として洋風建築の南洋館が那覇に建てられ

 1912(明治45)年1月1日の琉球新報の広告欄には「佐賀セメント新着荷・建築用金物一式」並川商店や「ダイナマイト・雷管・導火線」の川口鉡蔵などの広告が見える。

1920(大正9)年春、国頭郡役所(名護村大兼久・現名護博物館の前庁舎)の建築技手、設計・施行・監督として清村勉氏(熊本県出身)が赴任した。国頭村役場倉庫、大宜味村公設質屋、名護町公営市場、旧大宜味村役場、部間権現改築記念碑、護佐喜宮、辺土名・塩屋・宜野座・金武・伊是名・伊平屋・伊江島などの各尋常高等小学校の建築に関わり、築100年余、あるいは90年余経った現在も現存している建物などがある。

 また、モルタル技術の継承として「ぶつけ」技法(モルタルファンチ)の塀が国頭村内の6字に現存している。これらの塀の一部には、戦中の機銃掃射による弾痕があり、悲惨な沖縄戦の一端を垣間見せる貴重な史料である。

 今日の研究発表会では、過去にあった建物の写真や現存している建物などを通して、やんばるのコンクリート関連遺構群に目を向けて頂けたら幸いであります。

   
   ▲大宜味村旧庁舎    ▲本部町伊野波の消防庫   ▲楂敷の民家の門と塀  ▲名護市護佐喜宮